父からはあまり戦争の話を直接聞いた記憶がありませんが、何かの雑誌に掲載されていた父の随筆を読んだことがあります。父は大学在学中に学徒出陣したのですが、農家の長男で一人息子だったこともあってか、すぐに戦地には送られずに内地に残り、陸軍航空学校の教官をさせられていたそうです。ある日、やはり空襲にあって学校や兵舎が全焼し、その責任を取って自決しようとしていたところ、それを察した上官が自室に父をしばらく泊め置いたそうなのですが、ちょうどその時に終戦を迎えて自決を思い留まった、というようなことが書いてありました。
また、父は左耳が不自由だったのですが、それは軍隊に入隊した直後に上官から殴られて鼓膜が破れてしまい、その後の処置が悪かったため、と聞いています。
戦後79年の歳月が流れたとはいえ、戦争は決して遠くにあるものではありません。こうして両親から聞いた話を思い出してみても、我々の世代のほんの一世代上の人たちは皆戦争体験者です。そして前述の通り、今現在もウクライナやイスラエルでは毎日戦争で大勢の人たちが犠牲になっています。
ちょうどここまで書いたところで、岸田首相が来月の自民党総裁選への出馬を断念するというニュースが入ってきました。このメルマガでも何度も取り上げてきましたが、安倍政権から菅政権を経て岸田政権に至る流れの中で、日本はすっかり国の形が変わってしまいました。核兵器禁止条約にも未だ参加せず、対米追従一辺倒で、防衛予算を大幅に積み増して軍拡にひた走ってきた現政権の危うさについては、前号も含めて何度も指摘してきました。
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この世から戦争がなくならない真の理由は、戦争で金儲けをする人たちがいるからです。そういう人たちが世界各地で仕組む紛争や戦争のパイプラインを止めない限り、この世から戦争がなくなることはないでしょう。そして、戦争を放棄して平和憲法を掲げる我が国は、本来、そのパイプラインを止める重要な役割を担った国として戦後80年近い歩みを進めてきたはずでした。その象徴的な存在が、武力による問題解決を真っ向から全否定してアフガニスタンの地に半生を捧げた中村哲氏のような人でしょう。それが短期間のうちに一変し、今や国内で武器の見本市を開催し、海外に殺傷能力のある武器輸出ができる国に様変わりしてしまいました。
岸田氏の次を狙う候補と言われる人たちの顔ぶれを見回しても、この人なら、と思わせるような人物は一人もいません。しかし、岸田首相の退陣が一つの節目となって、日本が正気を取り戻す動きが出てくることを切に願いたいと思います。私自身も、祖国が再び戦争の当事者になるようなことにならないよう、引き続き目を光らせていきたいと思っています。
※本記事は有料メルマガ『『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』~時代の本質を知る力を身につけよう~ 』2024年8月16日号の一部抜粋です。このつづきに興味をお持ちの方はぜひご登録ください。
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