「機会」とは「光」だと思うのです。
クオーター制を批判する人たちは好んで「能力」という言葉を使いますが、「能力」は光が見えてこそ、育まれる力です。
これまで昇進の機会がなかった女性たちに門戸を広げることは、女性たちのモチベーションを高め、能力を引き出す手段になります。
一方、機会の欠損は差別であり、差別をなくすためには機会の平等が不可欠です。
しかしながら、どんなに「差別をなくせ!」「機会を平等にせよ!」と声をあげたり、啓蒙運動をおこなったところで、差別を根絶するのは難しい。そこで生まれたのが「ポジティブアクション」でした。
米国のリンドン・ジョンソン元大統領の演説がきっかけとされ、人種差別を禁じた1964年成立の公民権法の精神を基本とし、これに実効力を持たせるため主として大統領令に基づき推進されてきた「差別を積極的に是正する措置」がポジティブアクションです。
具体的には「数値目標の設定」であり、「クオータ制」であり、「法律での規制・罰則」の制定です。
階層上階の人たちは「ポジティブアクション」の真意をわかっているのか。残念ではありますが、・・・わかってない・・・そう思えてなりません。
結局、我が国の階層上階の人たちは、「義理と人情」の世界から抜けられないのです。改革より安定を、献身より保身を、変わることより変わらないことを選択し続けている。「組織を変えたきゃ、若者、よそ者、ばかものの視点を生かせ!」とは組織論の鉄則ですが、我が国のリーダーたちは、自分たちが「よそ者」を排除していることにも気付けていません。
いや、もっと正確にいうと、権力の外にいる時には見えていたものが、権力を手にした途端見えなくなってしまうのでしょう。
すでに、石破新総裁は、首相に就任後衆院選を「10月27日投開票」の日程で行うと表明するなど、手のひら返しの素早さには呆れますが、いつになったら日本は世界に追いつけるのか? 石破政権はただの泥船なのか?
今後の動きに注目したいと思います。みなさんのご意見も、お聞かせください。
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