芸能人の「若すぎる死」と岡田有希子さんの記憶
まだ若い芸能人の急死…私が思い浮かべるのは、若い方の中には御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、1986年4月8日に旅立ったアイドル、岡田有希子さんです。
当時の私はまだ駆け出しの芸能記者で、打ち合わせの途中に、とりあえずタクシーに乗り込み、現場に駆け付けたものでした。
到着した現場は、まだ衝撃の余韻が残っていて、それを目の前にボーっとする私に先輩が「何をグズグズしてるんだ!仕事しろ、仕事!」と怒鳴られたことが、今でも映画のワンシーンのように脳裏から消えないままです。
記者という名刺を持つようになって1年足らずの頃…「こんな仕事、いつまでもやってられないな…」と心の中で呟いたものです。
取材方法などほとんど知らなかった当時の私は当然、関係者への直撃取材など出来るはずもなく、それでも“答え”を要求してくる編集部への回答として考えたのは、岡田さんの所属事務所社屋の2階にあった喫茶店に通い詰めることでした。
記者としては新人ですから、関係者で私の顔を知っている人はいないことを利用し、営業時間内の喫茶店に居座り続け、そこを訪れる客のヒソヒソ話を耳をダンボにして聞き、メモをとり続けたわけです。
何週間…何ヶ月後だったでしょうか、断片的な話をつなぎ合わせ、根気のいる取材を続けていたら、だんだんと全体像が見えてきたのです。死の直前の岡田さんの様子や、彼女が心を痛めていた人間関係等々…ぼんやりとした輪郭ではありましたが、おおよその事情を理解できる、その入口にようやっと辿り着いたのでした。
三浦春馬さんと板垣瑞生さんの急死に、芸能記者が感じる共通点
前述の岡田さんや、2020年7月18日に旅立った三浦春馬さん、そして今回の板垣瑞生さんに共通して感じることがあります。
それは“どうしてマネージメントする側の人間たちは、心が傷付いたタレントたちに、優しく、親身になって寄り添うことができなかったのか?”という疑問です。
おそらく心理学の名誉教授ぐらいの人物でも難しい、デリケートな問題があるとは思います。
けれど、もし苦しい胸の内に寄り添うことが少しでもできていたら、こんな悲しい出来事は事前に防げたかもしれないと思う…いえ、思えるのです。
今年1月末頃から行方不明となり、御遺族によれば先日、遺体で発見されたという板垣さん。行方不明にならなければいけなかった板垣さんと、彼を捜す御遺族と友人の3ヶ月間…胸が潰れそうなご心痛をお察しします。
御家族の元へ帰られてよかった…今はそれだけしか言葉が思い浮かびません…。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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プロフィール:芋澤貞雄
1956年、北海道生まれ。米国でテレビ・映画のコーディネーター業を経て、女性週刊誌などで30年以上、芸能を中心に取材。代表的スクープは「直撃! 松田聖子、ニューヨークの恋人」「眞子妃、エジンバラで初めてのクリスマス」。現在も幅広く取材を続ける。https://twitter.com/ImozawaSadao
image by: 板垣瑞生(@mizuki_itagaki_loveandpeace) – Instagram









