選択肢の中からひとつ選んでボタンを押す、実験動物のような生活からの脱却
AIと言えば「脅威」「怖ろしい」といった条件反射を繰り返す人が今でも少なくありませんが、AIがシステムに入ってくるということは、システムがより人間的に賢くなるということであり、自然言語によって人間とシステムとの交流ができるようになるということでもあるのです。
現在の、非人間的で頭の悪いシステムよりは、よほど「まし」だと私なんぞは思ってしまいます。
ただし、AIによりシステムの側が人間的になると、それに応じて、客である人間の側にも最低限の「常識」といったものや、基本的な「会話能力」が求められるようになるのは必然です。
それは何も難しいことではありません。昔の人間が、日常、普通にやってきたことです。人間を相手に。
挨拶をしたり、何かを伝えたり、相手が言うことを理解したり、尋ねたり、答えたり、教えたり、教わったり、一緒に考えたり、といった、ごくごく基本的なコミュニケーション能力が必要になってくるからです。
ただ、残念ながら、こんな簡単なことができない人も、一部には現れつつあるのが日本の現状です。引き籠りになって、家族とも口をきかないといった例は極端かもしれません。しかし、そんな人でも生きて行けるのが日本に特有な「過保護社会」です。
コンビニやら自販機やらが街に溢れ、ちょっといびつな「便利な世の中」になってしまった日本では、他人と口をきかなくても生きていけるのです。「与えられた選択肢」の中からひとつ選んで、ボタンを押すだけ、といった実験動物のような生活をしていれば、自然とコミュニケーション能力は「退化」していきます。
そういった人たちには、AIを相手に対話するより、黙々とタブレットでメニューを検索する方が性に合っているのかもしれません。
「生成AI」のサービスが普及し、これを利用する人の幅が広がったことで、これを賢く活用できる人と、反対に、まるで役に立てることができない人との間に「格差」が生じるようになってしまいました。
考えてみれば当然なのですが、たとえどんなに優秀なAIが相手であっても、くだらない質問には、くだらない答えしか返ってこないのです。
どうやら、AIには人の有り様を映す「鏡」のような側面があるのかもしれません。
知人のAI専門家が、こんな「諺」を教えてくれました。
「Garbage In, Garbage Out.(ゴミを入れても、ゴミが出てくるだけ)」
AIというものの本質を実によくついた「諺」ではないでしょうか――。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』6月18日配信号「居酒屋タブレット」より抜粋、再構成。同号の「仮初exciting」「夏至の短夜」はご登録のうえお楽しみください。初月無料です)
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