人間の「注意力」が工学的に操られている?
ジャック・アタリはフランスの思想家にして経済学者で、かつてミッテラン大統領の顧問を務めたり、欧州復興開発銀行の初代総裁に就いた超大物。彼が国際的なネット言論サイト「プロジェクト・シンジケート」に投稿した「人間の『注意力』を奪う者が世界を動かす」と題した論考が、別のサイト「クーリエ・ジャポン」5月27日付で翻訳・紹介された。
● クーリエ・ジャポン「世界の賢人の視点」の中のアタリ論文:ジャック・アタリが警告 人間の「注意力」を奪う者が世界を動かす
アタリによると、21世紀においては「有限な『人間の注意力』を制することが権力の基盤」となる。米国の民事訴訟では、メタ〔旧Facebook〕とYouTubeが若いユーザーを意図的に依存させ、数多くのメンタルヘルスの問題を引き起こした責任があるとの評決が出たが、このような巨大IT企業がどうやって(若者に限らずあらゆる年齢層の)ユーザーを「意図的に依存させ」ることが出来るのかと言えば、それが「注意力の操作」なのである。
注意力は生物にとって重要な機能で、神経科学によれば、脳が情報の取捨選択をし、優先順位をつけるプロセスのことである。
我々は四六時中、情報の嵐に晒されているが、その全てを意識の中にまで受け入れたら気が狂ってしまうので、フィルターにかけて必要な少数の情報だけを受け入れる。このフィルタリングは、2つのシステムによって制御されていて、1つは、《反応が速くて、条件反射的に動くボトムアップ型の注意力》だ。これは目新しいものに反応し、恐怖や感情によって突き動かされる。もう1つは、《ゆっくり働く、意識的なトップダウン型の注意力》で、こちらは論理的思考や戦略的思考を可能にする。
今は、社会全体としてこの2つのバランスが崩れており、それが現代文明の断層となっている――とアタリは言う。
ここまで来ると、熱心な読者の皆さんは本誌がNo.1362で高市の「国家情報局」構想の貧困を論じた中で、同じ情報と言っても「インフォメーションとインテリジェンスの違い」を知った上で、インフォメーションの量の多さをインテリジェンスの質の高さに変換・凝縮していく技法に熟達しなければならないと述べたことを思い出すだろう。
さらに、インテリジェンスを鍛えるモデルとして、直感力=体(で感じる)と論理力=頭(で考える)と想像力=心(で拡張する)の三角形を描き、これを右回りでも左回りでもグルグル回せるようになると、その真ん中にインテリジェンスが宿るようになることを述べた。再掲すると、
直感力=体
するどさ
↑↓ ● ↓↑
想像力=心 → 論理力=頭
しなやかさ ← たしかさ
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アタリが言う、条件反射的な鋭敏な注意力と論理的に思考するゆっくりした注意力の相互作用とは、私の三角形の直感力と論理力の間の相互作用と同じことを指している。
で、彼が「この2つのバランスが崩れて」いると言うのは、条件反射的な直感的な注意力ばかりが肥大化して、ネット上を流れる情報(インフォメーション)に刹那的に反応することが増えていき、その分だけ、ちょっと待てよと一拍置いて吟味して、論理的思考でチェックすることで本当に必要な情報を振り分け、それを戦略的情報(インテリジェンス)に高めていくという機能が著しく衰退していることを警告しているのだ。
なぜそんなことが起きるのか。「昨今は、かなりの精度と強度で、人々の注意力を工学的に操れるようになっているからだ」。しかも人々は、自分が操られて「意図的に依存」させられるよう導かれているとは気が付かないまま、どんどんネット上のデジタル空間にのめり込んで行き、戻って来れなくなるのである。
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