次に面白いのが、桃太郎だ。
桃太郎といえば、桃から生まれた男の子が、犬、猿、雉を連れて鬼退治に行くという、日本人なら誰でも知っている昔話だ。しかし、この話にもいくつもの別解釈がある。
有名なのは、「もともとの桃太郎は、桃から生まれていなかった」という説。昔の話では、川から流れてきた桃をおじいさんとおばあさんが食べたところ、若返って元気になり、その結果として桃太郎が生まれた、という形だったとも言われる。
つまり、桃は赤ちゃんの入れ物ではなく、若返りや生命力の象徴だったわけだ。それが後の時代に、子どもにも伝えやすいように「桃から生まれた」という可愛らしい物語に整えられていった。
こう考えると、昔話は単なる子ども向けの物語ではなく、生命、老い、性、死、再生、共同体の記憶を包んだものだったのかもしれない。
犬、猿、雉を連れている理由にもいろいろな説がある。鬼門の方角、陰陽五行、干支、土地の信仰、あるいは古い時代の悲しい風習との関係。どれが正解かはわからない。
でも、ここで大事なのは、物語には表の意味と裏の意味があるということだ。表では「鬼退治の冒険物語」。裏では「人間社会の影をどう扱うか」という話。
鬼とは何か。外からやってくる敵なのか。それとも、自分たちの中にある欲望、暴力、恐怖、差別意識なのか。昔話を深く読むと、そこには現代人にも通じるテーマが眠っている。
そして、日本の不思議話の中でも特にロマンがあるのが、八咫烏だ。
八咫烏は、日本神話に登場する三本足の烏。神武天皇が熊野で道に迷った時、大和への道案内をしたとされている。つまり、八咫烏は「導く鳥」だ。道を失った者に、進む方向を示す存在。
これだけでも十分に神話的で美しいが、都市伝説の世界では、八咫烏は古代から続く秘密組織のように語られることがある。
日本の政治や神事の裏側で、表に出ずに国を支えている存在。名前も戸籍も持たず、必要な時にだけ現れる一族。天皇を中心とした祭祀の裏側で、陰陽道や神道の奥義を守ってきた人たち。
もちろん、どこまでが事実で、どこからが想像なのかは慎重に見る必要がある。
ただ、八咫烏という存在がここまで人の想像力を引きつけるのは、日本人の中に「表の社会だけでは、この国は説明できない」という感覚があるからだと思う。
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