ただし、ここで大切なのは、怖がりすぎないことだ。UFOも、予言も、八咫烏も、裏拍手も、桃太郎の裏話も、すべてを恐怖の材料にしてしまうと、心と身体がどんどん縮こまってしまう。
不思議な話は、本来、人間の感性を開くためのものだ。
世界は、自分が思っているより広い。
目に見えるものだけが現実ではない。昔話にも、身体のしぐさにも、神話にも、土地にも、空にも、まだ読めていない情報がある。そう感じるための入口なのだ。
僕が整体の現場で感じている「テレパシック感性」も、実はこの延長線上にある。
相手の身体に触れた時、筋肉の硬さだけを見ているわけではない。呼吸の深さ。皮膚の緊張。目の奥の疲れ。言葉の間。沈黙の質。そうした目に見えない情報を、身体を通して受け取っている。これは超能力というより、感性の使い方だ。
都市伝説も神話も、突き詰めれば「見えないものをどう読むか」という話だ。
ただし、何でも信じる必要はない。疑う力も必要だ。でも、何でも否定する必要もない。大事なのは、信じるか信じないかの二択ではなく、「この話は、なぜ今自分の前に現れたのか」と感じてみることだ。
UFOの話を聞いて、空を見上げる。失われた大陸の話を聞いて、地球の記憶に思いを馳せる。裏拍手の話を聞いて、身体のしぐさに宿る意味を考える。桃太郎の話を聞いて、昔話の奥にある生命のメッセージを読む。八咫烏の話を聞いて、自分を導く内なる鳥の存在を感じてみる。
そうやって、不思議な話をただの怖い話で終わらせず、自分の感性を深める入口にしていく。これからの時代には、そういう読み方が必要になる気がしている。
世界は確かに変わっている。でも、本当に変わっているのは、世界そのものというより、僕たちの「感じ方」なのかもしれない。
見えなかったものが、見え始めている。聞こえなかったものが、聞こえ始めている。気づかなかった違和感に、気づき始めている。
だからこそ、怖がるのではなく、面白がる。流されるのではなく、観察する。断定するのではなく、感じ取る。そういう姿勢で、不思議な時代を歩いていきたい。
八咫烏が神武天皇を導いたように、僕たち一人ひとりにも、見えないところで道を示してくれる何かがあるのかもしれない。
それは神話の鳥かもしれないし、
直感かもしれないし、
身体の奥から湧いてくる小さな違和感かもしれない。
いずれにしても、これからの時代は、知識だけでは足りない。
情報だけでも足りない。
最後に頼りになるのは、自分の身体で感じる力。
そして、目に見えない流れを静かに読む感性だ。
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