日本には、言葉にされないものがある。
祭り。神社。鳥居。山。水。石。森。沈黙。
それらは単なる文化財ではない。何かを封じ、何かをつなぎ、何かを受け継いできた装置のようにも感じる。
八咫烏は、太陽の象徴とも言われる。
中国では三本足の烏が太陽に住むとされ、「金烏」と呼ばれた。
日本ではそれが八咫烏となり、神の使い、道案内の象徴になった。三本足というのも面白い。二本ではなく三本。偶数ではなく奇数。安定しているようで、どこか異界的だ。現実の鳥ではない。象徴の鳥だ。
しかも鳥は、地上と天をつなぐ存在。
地面を離れ、空へ向かう。人間が行けない領域に行く。
だから古代から、鳥は神の使いとされてきた。神社の鳥居も、文字通り「鳥が居る場所」と読むことができる。
もちろん語源についてはいくつもの説があるが、「鳥」と「神域」が結びつく感覚は、やはり日本人の深いところに残っている気がする。
ここで少し現代に戻る。
2025年7月の予言の話も、ここ数年よく語られてきた。
たつき諒さんの予知夢の話をきっかけに、「何かが起こるのではないか」と不安になった人も多かったと思う。でも僕は、予言というものを「その日に何かが起こるかどうか」だけで見るのは、少し浅いのではないかと思っている。
むしろ大事なのは、そうした予言が多くの人の心を揺らすほど、社会全体の無意識が不安定になっているということだ。
時代の変わり目には、予言が流行る。都市伝説が広がる。UFOや秘密組織や古代文明の話が盛り上がる。それは、人々が現実に違和感を持ち始めているサインでもある。
表のニュースだけでは、何か説明がつかない。
政治、経済、医療、戦争、災害、AI、宇宙開示。いろいろなものが一気に動きすぎていて、頭では追いつかない。だから人は、神話や都市伝説や不思議な話を通して、時代の深層を読もうとするのだと思う。
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