上皇陛下が作り上げられた「国民と共に生きる」という天皇像
本来なら、国会議員とは「公僕」である。
日本国憲法15条2項は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と定めている。
ここでいう「公務員」は広い概念であり、国会議員・大臣・裁判官など、立法・行政・司法に属する公的職務の担い手を含むとされている。
国会議員も首相も国民の支配者ではない。奉仕者である。
しかも「全体」の奉仕者である。
決して「一部」、すなわち支持団体や政党、ましてや統一協会の奉仕者であってはならないのだ!
現在の国会議員、特に与党の議員は「憲法違反の国会議員」だらけであり、こんなのは単なる「税金ドロボウ」である。
本来ならまず国民全体のことを考えなければならないはずの国会議員には「国民と共に歩む」という意識など皆無であり、それゆえに愛子さまに国民の支持が集まる理由も全く理解できない。
国会議員は愛子さま人気なんて一時的な流行で、単なる「ポピュリズム」だと思い込んでいる。
だからこそ、どこの馬の骨かもわからん「旧宮家」系の男を養子入りさせて皇族にして、その子供が男だったら天皇になるという荒唐無稽な制度が作れるなんて妄想ができる。
たとえ最初は国民の反発があったとしても、どーせ国民感情なんか移り気なもんだから、そのまま時間が経てば慣れちゃって、なし崩し的に旧宮家系皇族にも敬意を持つようになるだろうと、タカをくくっているのだ。
「国民と共に歩む」の意味がわからない国会議員は、その考えの間違いには死んでも気付かない。
「国民と共に生きる」という天皇像は、上皇陛下が作り上げた「平成流」のスタイルである。
上皇陛下は「天皇は伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた」というお考えのもと、この伝統的な精神を現代に活かした天皇像を模索され、被災地ご訪問などで国民と同じ目線で語らう「平成流」の姿を、生涯を懸けて培ってこられた。
そして今上陛下は、それを全力で継承した上で「令和流」をつくろうとされている。
今上陛下は皇太子時代、1995年2月22日のお誕生日会見で阪神・淡路大震災に関する質問に対し、まず「天皇陛下(当時)は常に象徴として国民とともに苦楽を共にするという精神的な立場に立つと言っておられます」と述べた。
そして、その上で「私も天皇陛下のこのようなお気持ちを体し」被災者を励ましたいとおっしゃった。
確認できる範囲では、今上陛下が上皇陛下の「国民と共に生きる」という精神を引き継ぐご意思を公にされたのは、これが最初である。
そして今上陛下は2019年5月1日、ご即位当日の即位後朝見の儀のおことばでは、「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い」と述べられた。
さらに、一連の即位の儀式の中でも最も重要な即位礼正殿の儀のお言葉でも「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられた。
また毎年のお誕生日会見でも、必ず何らかの形で「国民と共に生きる」というご意思を表明しておられる。
ここで注目したいのは、時代を遡って2002年4月2日、愛子さまご誕生について行われた記者会見での今上陛下(当時・皇太子)のご発言だ。
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