「録音、やめてくれる?」俳優・寺尾聰が取材する記者に託した「信頼と覚悟」

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俳優の寺尾聰氏はスポーツ紙の記者に、インタビューの「録音」をやめさせたといいます。なぜ、そんなことをしたのでしょうか?メルマガ『佐高信の筆刀両断』の著者で辛口評論家として知られる佐高さんは、記録ではなく、いま、ここでわかり合うという覚悟を持った人たちの思いについて語っています。

いま、ここでわかってくれ

『父と僕の終わらない歌』で主役を演じている寺尾聰にインタビューした時、すぐに、「録音、やめてくれる?」と言われた、と『日刊スポーツ』の記者の村上幸将が書いている。

「あなたの言葉で書いて欲しい。記者として、どう感じたかを書けばいい」とも言われたというが、さすが、名優、宇野重吉の息子である。

それにハッとした村上は「何より脳裏に残っている空気感、取材対象者の目の色、声色といった、現場で向き合って受け止めたものを大切にし、それらを原稿に書きたい」と改めて思った。

「録音した音声を全て書き起こしてしまうと、それに引きずられてしまい、人と人として向き合った温度感、生感が、かえって損なわれてしまうような気がするし、そのことに嫌悪感すら感じるから」である。

取材を受ける時、「録音していいですか?」と言われ、それを拒否することはなかなかできない。

せっかく取り上げてくれるのだからと思ってしまうが、ズバリと言い切った寺尾に感動しながら、私は古舘六郎から聞いた話を思い出した。

太平洋興発の常務から副社長になった古舘は俳人として曹人という俳号も持っている。

「人の死につまづく如し萩芒」は名句であり、友人の早野透が亡くなった時の弔辞に引かせてもらった。

昭和18年12月1日、東大在学中に学徒出陣で戦争に行った古舘は、戦後、聴講生として大学に戻り、すばらしい1年間を送ったという。

経済学部の大内兵衛以下、追放されたリベラルな教授たちが学園に戻って熱っぽい講義をやっていたからである。

古舘が繰り上げ卒業させられた法学部にも、ズラリと名教授がそろいぶみをしていた。我妻栄、末弘厳太郎、穂積重遠らである。

「末弘さんの民法総則、我妻さんの債権、穂積さんの親族相続法と、理想的な時代でした」と古館は語った。

特に印象的なのは末弘で、学生が教室でノートを取ると怒った。

「いま、自分が言っていることを、ここで理解してもらいたいんだ。ノートなんか取るな。この場で理解すればいいんだ」

真剣勝負ともいうべき末弘のこの姿勢に古舘は深く打たれたと言う。

「これが教育ですよね。私は先生に惚れましたよ。いま、ここでわかってくれ、という教育ですね」

往時をなつかしむように、こう語った。

末弘は学者として、象牙の塔にこもるのではなく、中央労働委員会の会長として、現実に深く関わった。『嘘の効用』(日本評論社)といった名著もある。

ちなみに、岩波現代文庫に入っている末弘の『役人学三則』の編者は私である。『日本官僚白書』(講談社)などを書いていた私に岩波の編集者が目をつけて、まとめさせたのだろう。

私は「“役人病”に対する解毒剤」という解説を付けている。

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