11月26日、香港北部で発生した高層マンション火災。多くの人命が奪われる大惨事となってしまいましたが、何がここまでの甚大な被害を招いたのでしょうか。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』ではジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さんが、中国での生活経験を踏まえその背景を検証。建築事情や工事現場の慣習、そして社会に浸透する「構造的な問題点」について具体的に解説しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:香港高層ビル火災に見る中国の建物と災害
香港高層ビル火災に見る中国の建物と災害
さて、今週は話題になった香港の高層マンションの火災について、私が、大連にいたころの経験から中国の人々の防災意識について、私の感覚は少し古いですが、その内容を見てみましょう。
私が、大連にいたのは、1996年から2000年までの足かけ4年間で、今から約30年ほど前の話になります。その間に、中国は大きく経済発展を遂げて、当時と今の中国は、少なくともその外見、街に言った雰囲気などは全く違うといってよいかもしれません。
そもそも、1996年というのは、香港が中国に返還された年であり、香港そのものも今とは全く異なります。その様に考えれば、まったく参考にならないという意見もあると思います。
しかし、まずは今回の火災になった建物は、築40年ということですから、私がマイカルで香港に行った時にも存在していた多分当時では最先端の高層マンションであったと思いますし、また経済反転という意味では、香港でいえばもしかしたら、当時の方が自由で活気があったかもしれません。
また、実際に中国人の気質等は当時と全く変わっていないような気がします。
「当時と全く違う」とい意見の方は、一部の参考意見として、また、当時に近いと思っている方は、その内容に関して、今の中国ということを考えながら、その内容を見てゆきたいと思います。
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