AIの進化によって、人間の働き方そのものが大きく変わろうとしています。これまで当たり前とされてきた「働いて収入を得る」という仕組みは、将来も維持されるのでしょうか?今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、生物学者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授が、AI時代の労働、ベーシックインカム、そして持続可能な地球社会に必要とされる「適正人口」について考えています。
ベーシックインカム社会の適正な世界人口は20億人
最近『人はなぜ働かなくてもいいのか』(扶桑社)と題する本を出版したが、題が過激すぎたのかあまり売れていない。最近出版した拙著の中では自分としては一番面白いと思うのだけれども、一生懸命働いてお金を稼いでいる人から見ると、暇人の絵空事と思われたのかもしれないね。
実は私は他人が思うほど暇ではなくて、一番力を入れているのは昆虫の採集と蒐集と分類学的研究であるが、最近は軽い脊柱管狭窄症で、山に登ったり走ったりすることが大儀になり、もっぱら手持ちの標本を整理するのにエネルギーと時間を使っている。現在のところ一番の生きがいと言っても良いが、お金は使うばかりで全く稼げない。それ以外にはメルマガや本の原稿書きや、Voicyという音声プラットフォームの配信などを行っている他、時々テレビ出演や講演などもあって、これらは多少の収入を伴い、それなりに楽しいけれども、昆虫の標本を整理研究している時とどっちが楽しいかと言われれば、虫の方が楽しい。
最近読んだ、和田秀樹のエッセイで、定年になって暇になった人が、ボケ予防のために英会話教室や俳句教室に通ってもちっとも楽しくなく元気が出ないというので、話を聞いてみると、鉄道が一番好きと言うので、それでは「撮り鉄」はどうですかと勧めたところ、あちこちへ「撮り鉄」に出かけ、見る見る元気になったという話が書いてあった。
多くの人は、定年後の趣味は、法律に抵触したり、生活が破綻したりしない限り、本人にとって一番楽しいことをしているのが一番幸せで、何の問題もないが、現役の時は、お金を稼ぐためには嫌なこともしなければならない、と思っているに違いない。しかし、私が『人はなぜ働かなくてもいいのか』で主張しているのは、有償であれ、無償であれ、人はいつだって意に染まない仕事はしなくていいのだ、ということだ。農耕を始めてから1万年もの間、楽しくない労働も率先して引き受けるのが美徳、というイデオロギーを刷り込まれている人の顰蹙(ひんしゅく)を買うのは無理もないか。
労働が掛け値なしに尊いという考えは少し前までは、食料にせよ他の消費財にせよ、人間が労働しないと生産することができなかったからだ。現状では市井の人が生活するためには、労働をして賃金をもらい、その金で生活に必要なものを買わざるを得ない。中には投資市場でお金を稼ぎ、その金を使って生活できる人もいて、超金持ちは投資市場で成功した人に多い。投資市場の規模(金融資産と不動産の合計)は消費市場の規模(年間の消費額)よりはるかに大きいが、当たり前のことだけれども投資市場を支えているのは消費市場なのだ。お金と不動産がいくらあっても、消費財(食べ物やその他の生活必需品)がなければ、人は生きていけないからだ。
だから消費財を生産する営為が、人類にとっては最も重要で、投資市場はこれに寄生しているに過ぎないのだけれども、投資市場の規模が大きくなるにつれ、投資家の方が生産者より偉そうにしているのは、コトバの真の意味でも倒錯だ。ともあれ、人間が消費財を生産して、それを消費するという構図がなくならない限り、一定規模の人口は消費市場の存立にとって不可欠である。
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