先の大戦への「謝罪」は必要か?戦後81年の日本人に突きつけられる“過去の歴史を批判する”という選択肢

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戦争を巡る歴史認識について、今なおさまざまな意見が交わされている我が国。こと「謝罪」に関しては大きな議論となっているのが現状でもあります。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、日本が第2次世界大戦と向き合う上で「押さえておくべき論点」を多角的に分析。さらに靖国神社、サンフランシスコ講和、東京裁判などを取り上げ、「終戦」を巡るさまざまな論点を検証しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:終戦を巡る論点を再確認する

戦後日本は「平和国家」になったのか?終戦を巡る論点を再確認する

今年も8月15日が来て、去っていきました。日本のポツダム宣言受諾と武装解除から81年という年月が過ぎたことになります。大戦の経験者は残り少なくなり、戦没者慰霊式への参加者も配偶者や子ではなく、もっと下の世代が中心になって来ました。その結果として、軍民における巨大な人命の喪失だとか、国家を挙げての名誉の喪失といった直接的な感覚は薄れています。

その結果として、先の大戦を話題にしたり、例えば靖国の話題で論争をしたりというのは、今となってはイデオロギーの力比べの材料になっているとしか言いようがありません。非常に残念なことですが、先の大戦の評価ということ、そして81年にわたる戦後の時間を評価することがイデオロギーを表現する話題になってしまっています。

これは非常に危険なことだと思います。危険というと、この言葉そのものがイデオロギーの攻撃に使われる常套句ですが、ここで申し上げたいのは言葉のそのものの意味です。現在の傾向が危険であるのは、文字通りそこに危険があるからです。主調や表現の動機がイデオロギーに立脚することで、ファクトベースによる説得力や合意形成が難しくなるからです。

今回は終戦を巡る論議の前提として、9点ほどファクトおよび解釈についての問題提起をしておきたいと思います。

(1)戦争に関する「謝罪」は必要なのか

2015年に安倍首相が「戦後70周年談話」を出すにあたって、そこに「謝罪」を入れるかどうかが議論になったという歴史があります。この問題ですが、既に戦中世代の多くが去った中で、現在のところは、とりあえずはこの「謝罪」という言葉を入れるか、入れないかといった「言葉のゲーム」になっているような印象があります。

例えば、今回、2026年の戦没者慰霊式では、高市総理は「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」という表現を選択しました。「繰り返さない」ではなく、「繰り返させない」とすることで、過去の謝罪を否定し、将来の加害への懸念も否定し、その代わりに将来の被害への反対を口にした、そういうことです。

このテクニックはかなり高等戦術ですので、左派勢力の多くは気づかなかったようです。ですが、このような微妙な表現を使って「謝罪」を回避するどころか、全否定して見せたわけです。では、これはこれでいいのかというと、そうは簡単には行きません。

日本国内では「謝罪」という言葉を入れることに明らかに反対する勢力があったわけですし、また賛成する勢力もまた同じように非妥協的でしたから、社会全体としての合意形成は難しい時期が続きました。ですが、世代が入れ替わることで国内にはそのような対立エネルギーは少なくなっています。では、それこそ高市発言のような扱い良いのかというと、そうは簡単には行きません。

まず日本国内の世論としては、戦争や植民地支配とは関係のない世代の一部には、基本的には「自分の国が謝罪を強いられる」ことへの直感的な反発があると思います。自分たちには何ら責任がないにも関わらず「生まれながらにして悪い国の一員」と言われるのは、受け入れがたいという感情です。

また、そもそも自分の非を認めて謝罪をするという行為、あるいは姿勢というのは「心の余裕」があって始めて可能となるものです。ですから、そのためには物心両面での安定が前提となるということも、また、高度成長世代にはできても、貧困化した現役世代には難しいというのも、相当な部分は真実だと思います。

一方で、戦後長い間は「先の大戦における日本の行動を全否定」するとともに「謝罪者として恭順姿勢を取る」ことが、日本人の「危険回避本能」に適合していたわけです。ところが、戦争の記憶が遠ざかるに連れて「国家に依拠して、その国家の名誉を確保する」方が「危険回避本能に適う」という感覚との拮抗が出てきたということもあるでしょう。

以上はあくまで国内的な議論であり、また思想以前の感覚や感情の問題です。

一方で、国際社会の観点から考えると、日本および日本人が、特にこの「戦後81年」が経過したとは言え、「何らかの謝罪なり恭順姿勢」を「取らない」ということは考えにくいのです。そこには以下の理由があります。

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