戦国武将の経営術。信長は「マネジメント力」でも日本を変えた

 

歴史に名を残す武将は数あれど、「織田信長」はその中でもトップクラスのマネジメント力があったと、無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』の著者で浅井良一さんは見ています。当時の農民たちは、大名や地侍たちからモノ同然の扱いを受け、来世に救いを求めるしかないような境遇に置かれていました。果たして、彼らの生活に信長はどのようなイノベーションを起こしたのでしょうか?

「織田信長」の「マネジメント」

マネジメントは、企業だけが行うものでなくすべての組織がその組織のミッション使命を実現させるために行うものだとしています。企業の場合はドラッカー流に言うと顧客創造」ということになり、未だ満たされていないまたは十分に満たされていない顧客の欲求を満たすことにより潜在している需要を顕在化させて社会に活力を与えるとなります。

話を飛躍させますが、戦国時代でも、とうぜんマネジメントがあって戦国大名は自身の生き残りと領土拡大のため、領民や家臣に対する統治活動や領地争いの軍事活動やそのための経済活動が行なわれていました。

ここで戦国大名の統治活動という言葉を使いましたが、ある本によるとNHKの真田丸』の真田氏や四国の長宗我部氏さらに後北条氏などは領民への慈しみがあったかのようですが、ほとんどは奴隷としての扱いでした。徳川時代の士農工商の身分制が不合理性であるどころの話ではなく、まったくの地獄相のたたずまいだったようです。

諸国には地侍が跋扈してその地侍が自身の身を守るためにより強い有力武将の傘下に入る図式になっていました。武田信玄や上杉謙信は厳密な意味では領主ではなく、盟主つまりたまたまの拠り所であったというのが真実のようです。

戦国時代と言えば合戦ということになるのですが、その強さはもちろん武将の作戦能力によるものですが、もっと重要なのは経済基盤でいずれの有力大名も強固な経済基盤を持っているが故の強さです。武田信玄も上杉謙信も金山を持っており、上杉謙信はさらに領内に良好な海運物流拠点であるを多く有していました。

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