そういった真摯な作品づくりが同じクリエイターの胸に共鳴し、他の作家とともに制作された貴重な釘バットもある。それが、グリップ部分が鞭になっているというツーウエイシステム(?)な作品。
鞭を手作りしているマッドスタースパイダーさんっていう作家さんがいるんですけど、これはその方とコラボした作品です。見た目こそ恐ろしいですけれど、実際はバットの部分も鞭の部分も使いにくいという(笑)。
ふたつの悪意が結びついた、「ハイドとハイド」と呼ぶべきこの凶悪な釘バットは、SMプレイにおいてはひと振りで二度おいしい便利なツールのようであるが、実用できないゆえにピュアなアート作品に結実していた(むろん、すべての釘バットがアート作品なので、すべてが実用不可だが)。
こうして作品を鑑賞していると、根本となるバットそのもののヴァリエーションも豊かで、球史ミュージアムのごとき楽しさがある。このいいあんばいなバットたちは、いったいどこから入手するのだろう。
新品と経年劣化したものの両方ですね。古いバットは風合を出すために雨晒しにしたり、敢えて傷つけるなどして、その味わいを活かします。たとえば、ニスを塗ってみたらいい感じにおどろおどろしくなったので、上からいわくありげなお札を貼ってみたり。もちろん本物を貼ると本格的にヤバいんで、デザインを変えて、それらしいお札を作って。中古のバットの入手先ですか? けっこうネットオークションに出るんですよ。それで、なんでもいいから10本セットを買い、そこからいいものをチョイスします。そうすることで珍しいバットにめぐりあえることもあるんですよ。
確かに、なかには少年用を超えて幼年用と呼びたくなるほどサイズの小さな珍バットも。よく見るとグリップエンドには、おそらく以前の持ち主の苗字と思われるひらがな3文字が。
これ、謎なんです。出品者の名前とは違うんですよね。
出品者とは異なる名が書かれているというミステリアスなバット。そこに至る背景には闇のフィールドオブドリームスがありそうで、想像するだけで胸騒ぎの放課後だ。釘バットさんはこれを「すぎのモデル」と命名し、いつくしんでいる。釘バットさんが造るオブジェには、迫力だけではなく、こころの陰の部分を見つめさせる、切ない郷愁があるのだ。
実は釘バットは日本人が発明したという説があるんです。というのも戦時中にオーストラリアで捕虜になった日本人が作ったという記録が残されているんですよ。日本人の捕虜はおとなしいしふるまいがしっかりしているんで、野球も好きにやらせていたみたいなんです。バットはもちろん手作りです。そして脱走するときに護身と防衛用にバットに釘を打った。それが釘バットの最初だと言われています。オーストラリアの戦争博物館には元祖釘バットがあるらしいんです。
なんと、釘バットは我々の先祖が生みだしたものと言う説があるのか。とげとげしさを凌駕するノスタルジーを感じるのは、そのためなのかも。