そもそものカタルーニャ州の独立問題は願望の発端は18世紀初頭のスペイン王位継承戦争にまで遡ります。独立反対票が賛成票よりも上回り過半数をこえるものの、州議会選挙では独立を支持する政党が優勢となっている中、プッチデモン州知事が誕生。独立に反対する3800社以上の企業がすでに撤退しましたが、なかなかわかりづらい独立問題の争点を、スペインの政治経済に詳しい現地在住の白石和幸さんにわかりやすく解説してもらいます。
カタルーニャ州独立を嫌い3,839社が既にカタルーニャから撤退
2015年9月27日にカタルーニャ州議会選挙で独立を支持する3政党が過半数の議席を獲得した。
11月9日には州議会はカタルーニャの独立に向けての歩みを開始する為の動議を賛成72:反対63で可決させた。
この先、30日以内に州政府はカタルーニャ憲法制定の準備と社会保障及び財務を担う機関の創設を進めるための法案の起草が予定されるというものだ。
以上の過程が新しい州知事が議会で選任される以前に進めらたのだった。
しかし、州知事の議会での信任を得るべく過半数には2議席が不足。
その鍵を握っているのが独立支持3政党のひとつ民主統一党(CUP)であった。
CUPは知事候補に指名されているマス現州知事の続投を「彼は汚職の容疑がある」として支持せず今月1月もマス州知事を続投させる為の交渉が続いた。
が、CUPはそれでもマス州知事を支持しないと言明。
その影響で新たに州議会選挙が実施される可能性は強くなっていた。
カタルーニャ州はこれまで5年間に4度の州議会選挙をしているのである。
州民そして州議会議員の間でも新たに選挙をせねばならなくなるという状況にうんざりしていた。
そんな状況の中でマス州知事に代わる彼のクローン的人物を知事候補にした。
それをCUPは承認。
そこで遂に1月12日にプッチデモン州知事が誕生した。
独立したい願望の発端
そもそも独立したいという理由はどこから生まれたのか以下に説明しよう。
18世紀の初頭のブルボン家とハプスブルグ家のスペイン王位継承戦争でハプスブルグ家に味方したカタルーニャ自治領はブルボン家が勝利したことによって自治権を失なったことが現在の独立気運の端を発するのだ。
そして戦後40年続いたフランコ独裁政治によってカタルーニャは政治的そして社会的に抑圧を受けた。
それらが、カタルーニャ人の特にブルジョア層に独立気運を高める要因となった。
そして、現在に至ってスペインの財政難のしわ寄せが影響してカタルーニャ自治州も財政悪化。
特にカタルーニャ州はスペインのGDPの20%を担っているのに、スペイン中央政府からの交付金の額がそれに相当しないという不満がこの不況下でカタルーニャ政府で問題視された。
その一方、ラホイ首相はカタルーニャ地方の特異性に充分なる理解がなく、寧ろその特異性を無視しようとする動きもあった。
それがまたカタルーニャの独立気運はより高めた。
ここで読者が留意すべき点がある。
前述の州議会選挙では独立支持政党に投げじた票は1,910,075票で47.8%、独立反対は1,915,727票で52.2%という結果が出ていることである。
即ち、独立反対派の方が投票数では過半数なのである。
しかし、州選挙のシステム上から独立支持派の3政党の議席数が72、反対派の4政党の議席数が63という結果になったのだ。
独立反対派が多い理由はカタルーニャには1950年代から他の地方からの移民が住みついた。
そして、彼等多くはカタラン人という前に、スペイン人であるという意識が強いのだ。
更に、多くの企業経営者も商いの50%はカタルーニャ以外の地方との取引から成り立っており、独立する意味を感じないのである。