世界一貧しい大統領は元・テロリスト? ホセ・ムヒカ氏の数奇な半生

 

都市ゲリラ「ツパマロス」の一員

Q:ウルグアイはブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国ですが、ブラジルからの独立(宣言)は1825年と古く(認められたのは28年)、比較的豊かな民主主義国ですね?

小川:「そうです。アルゼンチン・ブラジル戦争(1825~28年)の対立をうまく利用し、イギリスの仲介を得て、ウルグアイ東方共和国として独立しました。その後、両国の対立が国内対立を煽り内戦が続きましたが、1870年に三国同盟戦争(パラグアイ対アルゼンチン・ブラジル・ウルグアイ三国同盟の戦争)が終わると、アルゼンチンとブラジルはウルグアイを緩衝国家として維持する政策に転換。内政干渉を控えたので、ウルグアイは畜産業などで栄えました

「二十世紀に入ると、ウルグアイではスイスをモデルにした社会経済改革が行われ、南米で唯一の福祉国家となって発展しました。民主化も進んで安定し、一時期は『南米のスイス』と呼ばれたほどです」

「ところが、大土地所有制や畜産業中心の経済体制を変えることができず、工業化にも失敗します。それでも第二次大戦中や戦後復興期は輸出が好調だったのですが、1950年代半ばから経済が低迷し政情が不安定化しました」

「そこで1960年代半ばに登場したのが、南米最強の都市ゲリラといわれたツパマロス(トゥパマロスとも表記)です。ホセ・ムヒカ氏はこれに加わりました。1935年生まれの彼は家が貧しく、家畜の世話や花売り(いまでも花を育てるのが趣味のようです)などで家計を助けていましたが、30歳くらいでゲリラとなったのです」

ツパマロスが反政府攻撃を強めると、ウルグアイ軍部は政治介入を深めていきます。1973年には軍がクーデターを起こして政治の実権を掌握しました。76年に就任したメンデス大統領は新自由主義的な経済政策を掲げる一方、労働人口の20%が治安組織要員という極端な警察国家体制を敷いて国民を弾圧しました。81年には軍部が軍の政治介入を合法化する憲法改正を狙いましたが、これは国民投票で否決されます。85年に民政移管が実現し、ようやく民主主義国としての歩みが始まったわけです」

「2005年にはタバレ・バスケス氏が大統領となって初の左派政権を樹立します。2010年にはその政策継承を掲げたホセ・ムヒカ氏が大統領となり、2015年3月からは再びバスケス氏が大統領をやっています」

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