千利休、切腹の謎。「真田丸」でも描かれた京都「大徳寺」のヒミツ

Daitokuji20160804
 

京都の魅力をユニークな視点からお伝えする無料メルマガ『おもしろい京都案内』。今回は千利休ゆかりの「大徳寺」のすべてを紹介してくださっています。広大な敷地を誇る同寺院はまるでテーマパーク。見どころは何と言っても個性溢れる数々の「塔頭」です。来年3月まで特別公開中の塔頭もあるとのことですので、まずはこちらの記事で情報を得、お運びになってはいかがでしょうか。

茶道との結びつきが強いお寺「大徳寺」

広大な境内に20以上のお寺を有する禅寺の大寺院、大徳寺はまさに文化と伝統のテーマパークです。今回はガイドブックに載るような内容より少しだけ深いところを取り上げてみました。

大徳寺の開祖は禅僧である宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)です。日本史が好きだった方なら聞いたことある名前かも知れません。創建は1282年と古いのですが、例にもれず応仁の乱で焼失してしまいます。応仁の乱は京都の中心地のほぼ全てを焼き尽くしてしまったので、仕方がありません。京都にある寺社仏閣はほとんど戦国時代以降の再建です。火事にならずに奇跡的に残ったものの一つが「おかめ伝説」で有名な通称千本釈迦堂、大報恩寺です。

※「おかめ伝説」に関しては以前ご紹介させて頂きましたのでこちらをどうぞ!
→「泣ける京都の桜物語。京で愛される桜に隠された5つの感動エピソード

応仁の乱の後、大徳寺は「一休さんのモデルとなった一休宗純(そうじゅん)が大阪・堺の豪商らの協力を得て復興しました。その後も豊臣秀吉をはじめ各地の諸大名により建物や寺領が寄付されました。そして、江戸時代初期にはほぼ現在の姿に整えられたそうです。三門、仏殿、法堂(はっとう)、方丈などの主要な建物は、その造りや配置に至るまで禅宗の典型的な寺院の体裁を整えています。

今回は大徳寺の特徴と他の寺院と違う特徴などに焦点を当ててご紹介したいと思います。

print
いま読まれてます

  • 千利休、切腹の謎。「真田丸」でも描かれた京都「大徳寺」のヒミツ
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け