千利休、切腹の謎。「真田丸」でも描かれた京都「大徳寺」のヒミツ

 

大徳寺はお茶との深いつながりがあります。聚光院という塔頭に千利休と三千家代々のお墓があるぐらいなので当然と言えば当然です。ではなぜそのような関係が生まれたのかを少しご紹介しようと思います。

日本には茶道が発展しました。海外には茶道と呼ばれるような特別なお茶の飲み方はありません。これは言い換えれば世界にも例のない日本が見出した美の世界と言うことも出来るでしょう。

茶に用いる道具、それを扱う所作、茶室の壁飾り、立花、客人をもてなす心。これらはすべて美というもので統一されていて、日本人のDNAの一つとして息づいているかのような精神性でもあります。

このように茶道は一種の儀式や儀礼として精神的な深まりを持つようになっていったのです。そして、後の世(江戸時代初期以降)の「綺麗さび」といった美の基準になっていきました。それは今までと違う新たな美であり、斬新な審美眼や価値観の誕生でもあったことでしょう。

市川海老蔵主演映画『利休にたずねよ』にも登場した特徴的なシーンがあります。あるとき千利休が朝顔の花が美しく咲いたので秀吉を茶に招きました。秀吉は喜んで訪れると沢山咲いているであろうはずの朝顔はどこにも見当たりません。どうしたことかと茶室に入ると、床の間にたった一輪だけ朝顔が生けてありました。その美しさに思わず息をのんだという場面です。

茶をたてるということは、全てにおいて人を思いやる気持ちが必要です。客人をはっとさせるような美の演出もそのうちの一つです。茶道はその精神的なよりどころを禅に求めたのです。利休は「茶禅一味」(ちゃぜんいちみ)という茶と禅とは最初から結びついていたものだという価値観を創造しました。心を落ち着かせることによって自己を発見し、悟りを開く道となり、精神修養の一つの方法と考えられていたのです。

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