失墜した影響力。それでも日本は国連の常任理事国入りすべきか

shutterstock_488226595
 

昨年、国連加盟から60年となった日本。これまで加盟国最多となる11回の非常任理事国を努めてきた我が国ですが、悲願の常任理事国入りは未だ果たせずにいます。無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』では、日本が常任理事国入りするために国としてなすべきこと、そして国民一人ひとりが考えるべきことについて嶌さんが分析しています。

国連加盟60年の日本~弱まる国連中心主義~

2016年で日本が国際連合(以下、国連)に加盟して60周年を迎えた。国連は1945年10月に設立され70年余りであるが、実は第二次大戦中から準備会議を行なっていた。日本、ドイツ、イタリアは連合国と戦争中であったことからこの中には入っていない。日本の加盟が承認されたのは1956年12月18日80ヵ国目の承認国となった。日本は国連の前身である国際連盟を1933年に脱退しており、国連への加盟は容易ではなかったため、国際連盟脱退から23年後にようやく国際社会に復帰した。

連合国軍に加わる

国連の英語名はUnited Nationsであり、日本語に直訳すると連合国群だ。そういう意味からも、国連の加盟は日本が連合国に入れてもらったということになる。この名前は大戦中に米国のF・ルーズベルトが考えたといわれる。

1942年1月に米、英、ソ連、中国などが連合国宣言を出し、1945年6月に50ヵ国が連合国憲章を起草し署名した。この時はまだ第二次大戦中だったが、戦争の惨害を終わらせるという決意の下に署名された。日本が無条件降伏したのはその後の8月15日であり、その当時は国連に入れるわけがなかった。そういう意味からも日本では国連と言っているが、連合国に入れてもらったというのがスタートであった。

ソ連に反対されるも…

日本が国連に加盟したきっかけは、1951年にアメリカなどとサンフランシスコ平和条約を結んだ時に国連加盟を申請し、国連憲章の原則を遵守すると誓った。しかしソ連の拒否権で否決された。また当時の国際情勢も複雑だった。

1949年に中華人民共和国が成立。加盟国の中華民国を台湾に追い出した。1950年には朝鮮戦争と社会情勢も非常に厳しい時期だった。そもそもサンフランシスコ平和条約はソ連などを含まない、いわゆる片面講和として主だった社会主義国はこの条約に参加せず、冷戦も厳しくなっていた。このため1951~1954年には新規加盟国はいなかった。

その後、1955年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)に参加し、アジア・アフリカグループの一員であることを示したり、1956年鳩山一郎首相が訪ソして日ソ共同宣言を発表。ソ連との戦争状態を終結させたことによって、ようやく56年12月に加盟を実現させた。

print
いま読まれてます

  • 失墜した影響力。それでも日本は国連の常任理事国入りすべきか
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け