10月22日が試金石。前原代表は小沢一郎の「野党共闘」案を飲むか

 

この年、宮沢内閣への不信任を成立させて小沢氏は自民党を離党し新生党を旗揚げした。総選挙は7月18日に投開票が行われ、自民党は解散前より1議席増の223議席にとどまった。自民系無所属を加えても過半数を下回るが、それでも自民党首脳部は勝ったと思っていた

他党の獲得議席はこうだった。社会党は134議席から70議席へ大幅に後退。小沢氏の新生党は55議席、同じく自民党を出て結成された武村正義氏の新党さきがけが13議席、前年に細川護煕氏が結党したばかりの日本新党が35議席。公明党51議席、民社党15議席、社会民主連合4議席、共産党15議席、野党系無所属30議席。

256議席を得ると過半数を占める。日本新党やさきがけと連立を組めば大丈夫と、第一党の自民党はタカをくくっていた。

小沢はこの結果に小躍りした。うなだれる社会党の幹部たちに「自民党以外の議席を足して見たらいい、共産党を除いても、こちらが多いじゃないか」とハッパをかけた。たしかに、共産党以外の野党の議席を足すと273議席になる。

小沢氏は誰を首相候補とするかがポイントだと考えた。日本新党とさきがけは、放っておけば自民党と連立を組んでしまう。自分の新生党や、野党第一党の社会党から候補を出しても、まとまらない。

時間は限られていた。自民党が日本新党、さきがけに連立話を持ちかける前に手を打たねばならない。小沢氏は細川氏を首相候補にする腹案を抱き、開票日の翌々日、社会、公明、民社の各党幹部を集めて一任をとりつけた。「細川首相武村官房長官」というプランだったから二人の党首は応じたが、他のプランなら二人は自民との連立を選んだかもしれない。

小沢の知略は日本政界で長く語り伝えられるものとなった。また、こういう芸当のできる政治家がその後、出てこないのも不思議と言えば不思議だ。

いずれにせよ、1993年の政権交代は、選挙後、野党票を足してみれば自民票を上まわったので、可能になった。

小沢一郎氏が口を酸っぱくして野党議員に説くのは、「野党が束になれば勝てるという信念だ。

政権交代した2009年の衆院選。自民党の得票は小選挙区2,730万票▽比例代表1,881万票。獲得議席は119議席だ。

2014年の衆院選はどうだったか。小選挙区2,546万票▽比例代表1,765万票で、得票の上では2009年より落としている。にもかかわらず、291議席も得ているのである。

なぜこうなるのかといえば、当然、投票率の問題だ。2009年が69%を上回ったのに、2014年は52.66%しかなかった。この大幅な投票率低下は、無党派層が選挙に参加しなかったことを示している。

小沢氏が「野党が結集して反自民票の受け皿をつくれば必ず勝てる」と訴えるのはそういう理由だ。

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