なぜ日本は「東名あおり運転」の犯人を殺人罪に問えないのか?

 

問題はどこにあるのでしょうか?

一つは、交通や警察の当局が「あおり運転の悪質化」ということを踏まえて、新法整備への研究を行い、最終的に法案を提出して行く努力に時間がかかりすぎる問題があります。また議員立法でということも考えられますが、今回の移民法でも代案が出せないなど、野党には政策提案つまり法案策定の能力がなくダメダメだということもあります。

ですが、本当の問題は「法律よりも上位の概念としての市民社会の共通価値観というものが日本にはゼロだということがあるのです。

この「市民社会の共通価値観」というのがあれば、法律が整備されていなくても、より高度な概念を根拠にして、裁判員裁判が判例を作って行くことができます。その結果として、判例が法律に代わって機能するということも可能になります。

ところが日本の場合は、そのような「共通価値観」がありません。今回の例についても、「あおり運転という悪質な行為の果てに、2名の人命を奪ったことは許せないし再発を防止しなくてはならない」ということが、まず「市民社会の共通価値観」として揺るぎのないものとしてあれば、強くこの被告を罰しながら、今後へ向けての判例にできます。

ですが、そのような判決は許されていません。法律、あくまで議会が可決して六法全書に書いてある法律が重要で、その上位概念としての「共通価値観というのはないのです。

例えば、コンピュータを使った犯罪が横行しているわけですが、これは刑法各においては、「電磁的記録の不正使用や損壊等の行為」として、特別な条項を設けており、これに違反したものだけが取り締まれるようになっているのです。

現在の市民的な常識からしたら、「電磁記録」というのはあくまで手段であって、それは情報を記録するためものです。ところが、日本の法律は、法律に書いてなければ機能しないしその対象は目に見えるものという原則があるのです。

ですから、犯罪類型としては、「電磁的記録不正作出及び供用の罪」とか「支払用カード電磁的記録に関する罪」といった「バカみたいに具体的な決め方がされているわけです。

例えば、現在はコンピュータを誤動作させる詐欺というのも取り締まれるようになっていますが、(詐欺罪の特殊類型)、この規定ができるまでは、詐欺罪は「相手が人間の場合」にしか成立しないとして、コンピュータをだます犯罪は取り締まれなかったのでした。つまり、上位の概念としての「人間の常識、日本人の常識として、これはやってはいけない」という共通価値観がないので、事細かな法律を決めなくてはならないわけです。

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