京都弁だった「ほっこり」が、いつの間にか共通語となった理由

 

ところが2010年くらいからテレビやラジオでこの「ほっこり」をやたらと聞くようになった。用法としては、かわいい動物や子供の動画を見た感想として「ほっこりしますね」というふうに使われる例が最も多い。

これは本来から言うと誤用の筈である。現行用法だとその意味は「ほのぼのとした気持ちになる」といった感じであろう。しかしこれでは一仕事終えてお茶を一服の感覚とは明らかに異なる。敢えて共通点を見出すと、継続した緊張感なりがふっと弛緩する状況くらいであろうか。

その弛緩の部分のみを強調して、こんなにかわいいのだから弛緩せずにはいられないだろう、ということになり「ほっこり」=「ほのぼのとした気持ち」となったのであろう。

いずれにしろ誰か(おそらく京都人以外)が始めた誤用が瞬く間に一般共通語として市民権を得たことは間違いのない事実である。最初に「どれくらいの時間が」と通時的な疑問から始めたが、どうやら共時的な拡散力の方が重要なようである。

但し、共時的な拡散力を得るにはいくつかの条件が必要である。まず現代人の言語感覚にしっくりくるものでなくてはならない。さらに、その言葉がある状況下における人間の心情を言い得て妙でなくてはならない。そのためには、その状況下における先行表現がどこか物足りないものでなくてはならない。入り込み、定着するだけの隙間が必要ということである。

上記の条件について改めて考える時、方言ほど便利なものはない。一地方の一方言から全国共通の一般語となる過程で意味の変化があっても、当該方言話者以外はあまり違和感を覚えないだろうし、当該方言話者も逆輸入的に、より一般化された意味として受け入れることにさほどの抵抗はないと思えるのである。用例が一つ増えるだけのことであるからである。

自分の生きている間に「ほっこり」のような古くて新しい言葉があといくつ生まれるか、ちょっと楽しみに思うのである。

image by: leungchopan,shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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