福生病院「透析中止報道」に違和感。現役医師が抱いた10の疑問

2019-03-15 MAG2NEWS01
 

日本中に大きな衝撃を与えた、東京・福生市の公立福生病院「人工透析中止」による40代女性死亡の報道。ネット上でも賛否両論を巻き起こしていますが、この一連の報道について多くの疑問を抱いたと語るのは、メルマガ『長尾和宏の「痛くない死に方」』発行者で、これまで2000人以上の最期を看取った現役医師にして日本尊厳死協会副理事でもある長尾和宏先生。病院側を責める報道が多いなか、長尾先生は「10の疑問」を挙げる形で、福生病院の対応について、そして「医療業界のタブー」についても持論を展開しています。

福生病院「透析中止報道」への10の疑問――「痛い透析医」

3月7日に第一報の出た公立福生病院(東京都福生市)の、人工透析治療中止に関する一連の報道を読みながら、私の中でいくつか疑問が膨らんできた。 

  • 医者から「中止」を勧めたのか? 患者の意向を受けて同意したのか?
  • 亡くなるまでに、本人・家族と医師の間でどんな話し合いがあったのか?
  • そもそも福生病院の医者は悪くない……

この原稿を書いているのは3月14日である。この1週間、毎日のように各紙、テレビ各局のワイドショーでもこの問題を取り上げている。

それを受けて、Twitterでも、多くの人が反応を示しているが、特に市民が大きな反応を示していたのはこの記事だったように思う。

「透析中止の女性、死の前日に『撤回したいな』 SOSか、夫にスマホでメールも」

この見出しが躍った記事を、死の前日に透析を再開しなかったから医師が患者を死なせた悪い医者だ、恐ろしい病院だ……と受け止めた人も少なくはないだろう。

また、3月10日の毎日新聞の記事によれば、毎日新聞の取材に対して福生病院の松山健院長(当時・副院長)はこのようにコメントをしている。

(松山院長)「いろいろな選択肢を(女性に)与え、本人が(透析治療の中止を)選んだうえで意思を複数回確認しており、適正な医療だ」

このコメントを受けて、透析中止という選択肢を(無論、それは死に直結するという説明とともに)患者に提示することは、「医師の仕事ではない」「酷である」と論じている人も何人かいるようだが、果たして本当にそうだろうか?

「本人に選択肢を与えない」医療を未だ支持している識者がいることに、むしろ驚く。

各新聞をはじめ多くのメディアは、この何十年も医療パターナリズム(患者の最善の利益の決定の権利と責任は医師側にあって、 医師は専門的判断を行なうべきで患者側には決定権がない、という旧態依然とした考え方。医療父権主義ともいう)を多くの事例を取り上げて批判してきたはずであり、なぜ平成が終わろうとしている今、「患者に選択肢を与えるな」という考え方が復活しようとしているのか、不思議にさえ感じた。

しかし、この院長の考えが倫理的に正しいのか、間違っているのかは置いておいて、患者さんのご家族(今回は死亡した女性の夫)に大きな後悔が残っているのは、記事を読む限り事実であり、ここを無視するわけにはいかない。

私は、2年ほど前に『痛い在宅医』という本を出した。

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長尾和宏・著『痛い在宅医』(ブックマン社)

私の本を読んだある女性が、末期がんの父親の在宅看取りを選択したのだが、まったくうまくいかなくて、最期に父親を苦しませてしまった。長尾の本さえ読まなかったら、在宅看取りという選択肢さえ知らずに、こんなことにならずに済んだのに、どうしてくれるのだ! という手紙を頂いたのがきっかけで、この女性と対話をまとめたものである。

医療者が絶対的に悪いわけではない。家族もしっかりと患者本人を支え見守った。しかし大切な人を見送った経緯に対し、家族は強く後悔し、医療者に怒りをぶつけることは、ままある――「なぜこんなことになったの?」と。

日本語の「痛い」、には実にいろいろなニュアンスがある。

一生懸命やっているはずなのに、空回りをしてしまう人のことも「痛い」と表現することもある。

この福生病院の透析医は、悪くはないけれども、「痛い透析医」だったのかもしれない。なぜ痛いのか? というわけで、この1週間の報道を鑑みながら私の中に沸き上がった疑問を10個書きだしてみる。

1 医師が透析中止を「勧めた」のか?

「患者意思の尊重」は医療の大原則である。そして選択肢の提示は医師の義務である。透析医側から透析の中止を勧めることはないと思う。患者さんから「もうやめたい」と訴えられた時に話し合いの結果、「同意」に至ることはある。

しかし、選択肢の提示=勧めるではない

選択肢を提示するのはあくまでインフォームドコンセントの一環であろう。「勧めた」のと「同意した、患者の希望を尊重した」は意味が違う。

また「同意書」や「確認書」に患者さんが一旦サインをしても、決してそれがすべてではない。いつでも撤回できることが大原則だ。

人間の気持ちは揺れ動くものなので常に寄り添い続けることが医療の使命である。文書に署名しても気持ちが変わったら、その都度、対話を繰り返すものだ。松山院長は先のコメントで「複数回確認し」たと述べているが、その実情はどうだったのか。事務的ではなかったか? 誘導的ではなかったか? おざなりではなかったか? 松山院長は、その現場に立ち会ったうえで、このコメントを出しておられるのだろか? 

2 40代女性は、果たして本当に終末期(人生の最終段階)だったか?

報道によれば、この女性は、「シャントが使えなくなったら透析はやめようと思っていた」と、透析中止の意思確認書に署名している。(毎日新聞3月7日記事)シャントとは、透析治療のために腕に作る血管の分路のことだ。シャントが潰れたため、普段通っているクリニックの紹介状をもって、福生病院を女性が訪れたのは2018年8月9日のこと。そして亡くなったのは、8月16日である。

 福生病院は、このとき女性に二つの選択肢を提示している。

  1. 首周辺にカテーテルを入れて透析治療を続ける。
  2. 透析治療を中止する。

そして女性は、2.を選択したのだ。

同じく毎日新聞の3月7日の記事では、福生病院の外科医(名前は不明)の以下のようなコメントを掲載している。

(女性)本人の意思確認はできていて、(医療は)適正に行われた。(女性を含めて)透析をしている人は終末期」だ。治る可能性があるのに努力しないのは問題だが、治らないのが前提。本人が利害をきちんと理解しているなら(透析治療の中止は)医療の一環だ

まず基本的なこととして、「シャントが詰まった=終末期ではないし、この外科医が言っている「透析している人は終末期だ」という発言は、終末期医療に日々かかわっている私からすると、甚だ違和感がある。そんなわけがない。

透析患者さんの終末期とは、全身状態が極めて悪く死期が近い、医学的には多臓器不全と呼ばれる病態であろう。

だからこの40代女性の場合、シャントの閉塞とは関係なく本当に終末期であったかどうかを知りたい。

もし終末期と判断されたなら、患者さんの意思を尊重して家族と何度か話し合いの場を持ち、透析を中止することは何ら問題はない。

また、高度の認知症などでもはや意思疎通ができない高齢者においても家族や知人などの代理人の意思を尊重して非導入や中止となる場合はある。

患者さんは40代と若かったが、余病や全身状態はどうだったのか

もしまだ終末期ではなかったと検証されたなら、そこで初めて議論の対象となるのかもしれない。しかしそもそも「終末期」や「人生の最終段階」という言葉はあまりにも漠然としすぎている。

明確な基準が無い(作れない)ので最終的な判断は現場の医師と患者・家族との話し合いに任されている。倫理委員会で話し合う病院もあるが、患者抜きで第三者が決めていいものか。そもそも忙しい医療現場で非導入や中止の度に開く必要があるのか疑問だ。

在宅で看取るケースもあるが在宅現場には倫理委員会などない。在宅では非導入や中止の希望が出ればケアマネがケア会議に多職種を招集する。ご自宅で本人と家族の意向に耳を傾け医師を含む多職種で複数回、話し合ってから決めている。うつ病などによる自殺願望(希死念慮)ではないことを何度も確認する。

直接関わっている多職種との対話で決めるほうが倫理委員会よりよいと思う。非導入ないし中止による最期は、自然死平穏死尊厳死と呼ばれる。

その多くは穏やかな最期である。

病院においても同様にみんなで話し合うことが大切で、倫理委員会は必須ではない。もしそんな時間とエネルギーがあるならば患者さんとの対話に費やすべきだ。

またそもそも「透析しなければ死に至る状態」であること自体が終末期だ、と考える人もいるようだ。またそもそも人工透析は延命治療である。そして年齢に関わらずいくつもの病気が重なりあうと、たとえ40代であっても、あるいは10代であっても終末期と判断される場合がある。

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