福生病院「透析中止報道」に違和感。現役医師が抱いた10の疑問

 

7 「透析医が透析を中止する」という意味

「透析医が透析を中止する」という意味を想像して噛みしめてほしい。そもそも透析医療機関は透析だけで経営が成り立っている。だから透析を中止すれば、患者さんがいなくなり経営には圧倒的に不利だ。

喩えが不適切だとお叱りを受けるかもしれないが、わかりやすいのであえて書くが、ラーメン屋さんがお客さんに「ラーメンは体に悪いから、食べないほうがいいですよ」と言うようなものだ。そんなこと(中止)を言うラーメン屋(透析医)を私は知らない。

だから「もう私は死期が近いはずなのに、いつまで透析を続けるのか?」と思っている患者さんにも、経営のために死亡直前まで続けているのが多くの透析現場の実態だ。

もし嘘だと想うなら身近な透析関係者にそっと聞いてみて欲しい。超高齢で種々の合併症を抱え衰弱した要介護5の寝たきりの認知症の人にも続けている。自力で部屋の鍵を開けない一人暮らしの人の窓ガラスを叩き割って部屋に入りストレッチャーに乗せて透析に連れ出している姿を見たことがある。なんとしても死ぬまで続ける日本の透析医療。腎不全=透析導入が当たり前とされ、非導入という選択肢が無い日本の透析医療。そんな透析医にとっての「透析中止」とはいわば自分で自分の首を絞める行為であり、業界内ではタブーとされてきた。

福生病院での非導入や中止は医師の利益であるはずはなく、あくまで患者さんの意思を尊重し人間の尊厳を守るための行動だ。ただし医師が医療経済の問題を患者さんにつき付けることはあり得ない。あくまで人間の尊厳と医療経済は切り離して考えないといけない。

8 透析の「非導入」と「中止」は違う

最初は「中止」の報道であったが、次に「非導入」の報道に移っている。福生病院では過去4年間に透析適応の149人のうち20人の非導入例と5人の中止例があったという。残りの129人は透析導入されている。非導入:導入=1:6で、非導入率は約13%となる。また中止率は約4%と算出される。つまり言い換えれば、導入率が87%完遂率(死ぬまで透析をやる人の割合)が96%という福生病院の数字をどう評価するのかではないのか。そして他の透析医療機関は果たしていったいどんな数字なのか。こうした比率で論じるべきではないか。ちなみに私は「非導入」と「中止」は同等であると考えるが、非導入よりも中止により強い抵抗を感じる人が多いようだ。

あるいは人工透析を人工栄養に言い換えると、「胃ろう」の対象になる患者さんが149人いたが胃ろうをしなかった人が20人で残り129人には胃ろうを造設したという話だ。またCOPDの患者さんなら、人工呼吸器の適応があった患者さんが149人いて20人の患者さんは人工呼吸器をつけず、129人の患者さんは気管内挿管と人工呼吸器をつけたという話になる。老衰への胃ろうやCOPDへの人工呼吸器もこのような視点で論じるべきと考える。

というのも日進月歩の医療において選択肢は多様化する一方だ。そのなかで患者・家族の様々な価値観を尊重し、生命倫理を重んじるのが納得・満足医療である。金子みすずさんではないが「みんな違っていい」じゃないか。80代の慢性腎不全で透析導入を拒否され自宅で看取った人がいた。90代の要介護5が多臓器不全になり本人の申し出を受けて家族とも話し合った結果、中止したこともあった。そんな意思表示(もし書面に書いたならリビングウイルと呼ぶ)をした患者さんの想いは在宅現場においては最大限に尊重している。多くの医療現場ではすでに非導入例も中止例も少なからず経験しているはずだ。決して福生病院だけの問題ではない

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