ニューヨーカーにとって深刻な「書店の消滅」その意外な理由

 

さすがに日本人の僕は、そこまではできません。テーブルに持ってくるのは1冊、ないしは2冊まで。なるべく綺麗に読んで、コーヒーはなるべく本から遠ざけてテーブルに置き、毎回、棚に戻して、次をとってくる。そのまま帰るのは忍びないので、雑誌の1冊も購入して、ウエットティッシュでテーブルを拭いてから店を後にします。こんな日本人的なところがどうしても出ちゃって、いやになるな、と思った瞬間、いや、おかしいのは奴らだろ、と思い直す。雑誌の1冊買っても買わなくても、雇われ店員はどっちにしてもなんとも思ってなさそうだけど、そういった意味では、どうしても、ニューヨーカーにはなれません。どちらにしろ、楽しいひと時でした。

そんな大型書店は軒並み、閉店しました。今残っているのは五番街のバーンズ&ノーブル(Barnes & Noble)くらい。友人のニューヨーカーから聞いた話、大型書店の消滅は、独身のニューヨーカーにとっては結構な深刻な問題なのだとか。特に、当時は今ほど、出会い系のサイトが充実していませんでした。あったとしても、SEX相手を探す、男性寄りのエロ系がほとんどだったとか。

その頃の、ニューヨーカーの相手を探す場所は、夜はバーと相場が決まっていた。でも、バーも結局、お酒が入るので、どうしてもシリアスな相手というより、遊び相手、という傾向が強いのだそう。では、もっと真面目な感じで、お酒も飲めないシングルはどうやって相手を探したのか。それが、大型書店だったそうです。前述したように、こっちの大型書店は、カフェの趣もある、ゆったりとしたくつろぎ空間。そこで読んでいる本から、趣味の話まで広がり、相手を見つけた、という人も少なくなかったのだとか。

確かに、テーブルに積まれた本たちは、ある意味、自分がどんな人間かをこれ以上なくアピールできるアイテム。まさか、いくらニューヨーカーでも、昼真っから、テーブルにHUSTLER(こっちのエロ雑誌)を積み上げるツワモノはいないはず。なんなら、異性の目を気にして「文芸書」や「料理雑誌」をあえて置く女性、「政治経済誌」や「サーフィン専門誌」をあえて置く男性もいたんじゃないだろうか(料理苦手、丘サーファーだったとしても) よく映画で見る、カフェや図書館や書店で、一方が一方に、いきなり声をかける。そこからいい感じで、自己紹介が始まる、そんなシーン。そんな都合いい展開あるか!と日本にいた頃には思っていました。日本では知らない人が知らない人に(ナンパでもない限り)いきなり話しかけることは、そうないと思います。はっきり言って、こっちは普通にあります。ない方が、ない。当たり前のように、よーく見かけます。当たり前すぎて、ナンパでもないらしい。

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