ニューヨーカーにとって深刻な「書店の消滅」その意外な理由

 

別に書籍代をケチってるわけじゃないんです。でも、新刊が日に何百冊も出る今の時代、タイトルだけに惹かれて全部、買っていられないし、全部、精読する時間もない。 リフレッシュも出来て、トレンドも把握できて、話題の新書の情報もアウトラインくらいは手に入る。なので、書店通いはやめられない。(全国の書店、出版社が聞いたら、ブチ切れる内容だな、今日の)ネットだと、どうしても、自分の見たい情報、知りたい情報に偏りがちです。興味ない分野を目にする確率は低い。それだと「ネットの住人」になってしまう。情報通だと自己完結しがちになる。書店の場合は、嫌でも、目に入ってきます。世の中の流れが、動向が。仮に興味のない内容でも。

それだけじゃなく、書店には幸福感もあります。なかなか学生の時のように、月に何冊もの小説を読む時間が今はない。でも、読みたい作者の新刊は、今月も出る。小説のコーナーに寄っては、いつか時間ができたら、読むぞ、と思いを馳せる。今は思うだけだけど、老後の楽しみを想像する。 旅行って、実際に行った時より、行く前のガイドブックを読んでいる時がいちばん楽しいって、よく聞きます。それと同じ。書店自体が、自分の本棚と思い込む。いつか時間ができたら、引っ張り出す。その時は、レジにお金を持っていく作業だけをプラスする。(でも、それこそ、その時には、もう書店自体がないかもしれないけど。その時は、さすがのアナログ、紙派の僕も、さすがに電子書籍に迎合しちゃってるかもしれないけど)

なので、僕は書店であれば一日中いられます。本はよく読む方ではあるけれども、特別にすごい読書家、というわけでもない。難しい専門書を途中で投げ出したことも少なくない。それでも、本屋さんが好きなんだと思います。ひょっとすると、読書、そのものの行為より。実際、以前ここのメルマガでも書いたと思いますが、日本出張時には、今でも滞在期間中の一日を「新宿紀伊國屋デー」に当てています。

午前中から出向き、まずはエレベーターで最上階まで行きます。で、そこからじっくりかけて、店内の隅々までチェック。それを最上階の7階から、順に1階ずつ階段を降りて繰り返します。

1階に到着する頃には、お昼過ぎに。そのまま地下の食堂街に行き、ごはんを食べながら、厳選セレクトしていきます。

書籍って想像以上に重い。今のところ、ここでは国内しか郵送はしてもらえません。なので、購入リストをそこで頭の中で作る。ジックリ選んでお昼ごはんが終わると、またエレベーターで7階まで行きます。今度は選んだ書籍をお買い物カゴに入れながら。大好きな格闘技系、映画系、小説、国際情勢系で偏るところを、少しだけ挑戦的なお買い上げもします。

print
いま読まれてます

  • ニューヨーカーにとって深刻な「書店の消滅」その意外な理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け