100年ブランドを3つも抱える「アサヒ飲料」の絶好調が続く秘密

 

カルピスを再ブレイクに導いた立役者、アサヒ飲料社長の岸上克彦(65歳)は、業界をアッと言わせた異色の経歴を持つ経営者だ。

もともとカルピスはアサヒ飲料ではなく、一つの会社だった。1976年に入社以来、岸上はカルピス一筋。営業畑で頑張ってきたのだが、2007年、カルピスは味の素の子会社になる。さらに2012年にはアサヒグループに買収された。

しかし岸上はそんな時もポジティブに捉えた。味の素の傘下に入った時は「グローバルに発展できるチャンス」と、またアサヒグループに買収された時は「やりたかったことが実現できるチャンス」と、常にポジティブな思考を貫き、2015年にはアサヒ飲料の社長に就く。買収された側の企業の人間が日本を代表する飲料メーカーのトップに立つという、異例の出世を果たしたのだ。

岸上率いるアサヒ飲料は、カルピスだけでなく他の主要ブランドも好調だ。発売から135年の「三ツ矢サイダー」は大幅売り上げアップ。発売115年の「ウィルキンソン」も過去最高売り上げを達成している。

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発売100年のカルピス~知られざる開発秘話

カルピスには100年もの間、極秘に守られてきた乳酸菌があると言う。アサヒ飲料でも99%の社員はその保管場所を知らされていない。秘密を守ることを条件に、今回、初めてカンブリアのカメラが入った。

乳酸菌の保管庫の内の温度はマイナス80度。そこに厳重に保管されているのが、100年前の創業時に発見したカルピス菌だ。

「工場などでトラブルなどがあった時には、ここに保管してある乳酸菌を使ってカルピスを製造できるように冷凍保管しています」(フローラ技術部・小山奈津美)

戦時中は疎開させたというほど、ずっと守り続けているお宝だ。

その乳酸菌を見つけ出してカルピスを作ったのが、雑貨商を営んでいた三島海雲だった。

カルピスを生み出すきっかけは1908年、仕事で訪ねた内モンゴル。海雲は長旅で疲れ果てていた。その様子を見た現地の遊牧民が白い飲み物をすすめてくれた。それは家畜の乳を乳酸菌で発酵させた「酸乳」と呼ばれるもの。強烈に酸っぱかったが、毎日飲んでいると胃腸の調子が良くなり、元気が出た。

「これは日本でも広める価値がある」と、帰国した海雲は本格的に乳酸菌の研究を始め、ついに見つけ出したのが保管庫に入っていた乳酸菌だった。

海雲は試行錯誤を重ね、この菌を使って1919年、日本初の乳酸菌飲料、カルピスを完成。その3年後には新聞に、甘酸っぱい味を表現した名キャッチコピー「初恋の味」とともに広告を出した。

おいしくて体に良く、しかも経済的なカルピスは、庶民に受け入れられ日本中に浸透する。さらに1959年からはテレビCMを開始。「お中元にカルピス」とアピールした。この戦略は大当たりし、お中元商戦ではデパートに専門コーナーが生まれ、お中元の定番になった。

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