矢野財務次官の大罪。保身確保の駄文に「吉田松陰」の言葉を使う無礼

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先日掲載の「逆らう政治家は吊し上げろ?財務省『バラマキ批判』発表の大勘違い」では、財務次官による与野党の政策論争批判論文の内容や発表のプロセスについて強く批判した、京都大学大学院教授の藤井聡さん。その論文内にはまた、藤井さんが看過できない記述も見受けられたと言います。今回のメルマガ『藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~』では藤井さんが、次官が「やむにやまれぬ大和魂」という言葉を用いたことを大罪と断言した上で、その理由を綴っています。

【関連】逆らう政治家は吊し上げろ?財務省「バラマキ批判」発表の大勘違い

(この記事はメルマガ『藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~』2021年11月20日配信分の一部抜粋です)

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長州出身の矢野次官がバラマキ批判で吉田松陰の「やむにやまれぬ大和魂」という言葉を使った事は許されざる「大罪」

この度、当方が編集長を務めております保守思想誌『表現者クライテリオン』が主催するシンポジウムが神戸・湊川神社で開催されました。当日は100名以上の聴衆の方にお集まりいただき、大盛況の内に終えることができたのですが、このシンポジウムの前に編集部、スタッフ一同、シンポジウムの成功、ならびに言論活動の旺盛なる発展を祈念して、湊川神社にお参りいたしました。

湊川神社とは、楠木正成公がお祀りされている神社です。当方この度始めてお参りすることができたのですが、大変有り難いことに湊川神社の宮司に神殿で祈願いただいたのみならず、境内を丁寧にご案内いただきました。

楠木正成公は若き頃に後醍醐天皇に謁見した折りに、陛下を生涯守り抜くと決意します。その後、後醍醐天皇は北条率いる鎌倉幕府によって隠岐の島に流罪となるのですが、楠公はその醍醐天皇を救い出さんがため、あらん限りの知と情と意の力を用い僅かな軍勢にも関わらず千早城、赤坂城の戦いを経て幕府軍を打ち破り、後醍醐天皇の復権を成就させます。

しかしながらその後、足利尊氏が後醍醐天皇を裏切り、再び失脚に追い込まんとするのですが、楠公は後醍醐天皇の再復権を企図し、10万の軍勢で攻めあげてきた足利氏を僅か700の手勢で迎え撃ち、壮絶な戦いの末あえなく敗れ、最期に「七生までただ同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候へ」(七生報国)という言葉を残し、自刃したのでした。

当方、小学校の4、5年頃、楠木正成公のこうした生涯が描かれた歴史的戦記物『太平記』を読み、楠木正成公の勇気と胆力、知力と情念、そしてその生き様死に様に表れ出でる誠の忠心に、稚拙と言う他なき幼き身ではあるものの大いに感銘を受け、生きるに足る人生とはかくなるもの也との大きな感化を受けたのでした。

そんな当方にとってみて、今回の湊川神社参拝は大変に印象深く、意義深いものとなりました。楠木正成公の生涯に改めて思いを馳せつつ斯様な楠木氏の生涯に、様々な歴史上の偉人達が大きな感化を受けている史実を知り、その偉大さを改めて認識したのでした。

中でも特に印象深かったのが、かの吉田松陰がおそらくは当方が感じたものと同種のものであろう感化を楠木正成公から大いに受け、(同じく同種の感化を受けたであろう)水戸光圀公が建立した楠木正成公の墓碑に四度、お参りしていたという事実でした。

長州から神戸までの何百キロにも及ぶ遠大な距離を歩いて移動するしか無い江戸時代に幾度も往復するなど、吉田松陰の楠木正成公に対する思いの並々ならぬ大きさに改めて深い感銘を受けたのでした。

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