的はずれな働き方改革に意味はあるのか?現役教員が明かす「リアルな教育現場」

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厚生労働省が提唱した「働き方改革」。みなさんの会社では何か変化があったでしょうか。無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教諭の松尾英明さんは、教員における働き方改革に関して言及し、的はずれな改善案が多いこと、その本丸は「徒労感の解消」であることなどを明かしています。

働き方改革の本丸は徒労感の解消にあり

働き方改革について。

現場教員としてのリアルな感覚を述べる。100%主観であり全ての教員に一律に当てはまるものではないが、私という一つのモデルの示す事実でもある。

まず第一に、労働時間について。これについては、かなり的外れな指摘や「改善」提案が多いと感じている。教員の長い労働時間自体は、今に始まったことではない。

はっきり言えば、教員の仕事自体が辛いのではない。やり甲斐を感じられない作業や無意味だと思える仕事が多すぎるのが辛いのだ。

法的に決められている仕事がある。例えば出席簿等の学籍関係、あるいは指導要録や抄本などの記録関係書類の作成等である。これらは法が改正されない限り拒否できない。やる意義や必要性どうこうを考える前に、やるしかない。

何の見返りもリアクションもない各種アンケート類や報告書への回答。どこぞの各担当部署から出る「ちょっとした調査」が積み重なり、湧き水がやがて大河になるが如く、雪崩のように押し寄せてくる。

内容はさておき無節操に増え続ける各種年代毎の悉皆研修(せっかく免許更新講習がなくなったのに元の木阿弥状態である)。

ウィルスや事件・事故、あるいは「新教育」と連動して常に増え続ける「〇〇対応チェックリスト」系への記入。最初に作って指示した人はもう既におらず、「もういいでしょう」と誰も言えない、旧制度の残滓の数々である。

当然のように過剰サービスを求められ続ける各種の「丁寧な」対応。「教員の使命」の名のもと、「これぐらいやるのが当たり前」のレベルが高すぎる作業の数々。

それら無意味としか思えない事柄に時間を食われることが辛く、徒労感という大きな疲労に繋がっているのである。無意味の中に意味を見出すことはもちろんできるが、それはこの問題の本質的解決にはならないどころか、真逆の方向である。どうでもいいことをより能率よくこなせばこなすほど、より事態は悪くなっていくのである。どこかで「NO!」をはっきりと突き付ける必要がある。

「日々の授業準備に追われている」というが、これも表現的には誤っている。大抵の教員にとって、授業準備自体は、嫌なものでも辛いものでもなく、本来、楽しみですらある。しかしそれを始められるのが確実に勤務時間外、日がすっかり沈んでからという現状が日夜続くことに、絶望感を抱くのである。

そして「仕方ない」「下らない」と思う、我々の手の届かない位置から降りてくる各種命令に従うほどに増す徒労感。過剰なほどの準備・対応を命じられ、それに従う際の拭いきれない違和感。

これらあらゆる「使役」のもたらす精神的疲労感は、子どもを相手にしたり授業準備したりといった爽やかな仕事の疲れとは一線を画す。

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