長かった「戦国時代」を終わらせた男、織田信長。なぜ彼はあそこまで強かったのでしょうか?メルマガ『ねずさんのひとりごとメールマガジン』の著者で作家、国史研究家でもある小名木善行さんがその秘密を明かしています。
信長の軍団
120年続いた戦国の世を終わらせた信長。その信長が強かった理由のひとつに、彼が専業軍団を持ったことが挙げられます。
それまでの戦国時代の大名の軍団は、基本、すべてが兼業農家です。武士であると同時に農家でもあった。これは当然で、武士とはもともと平安時代の新田の開墾百姓が起源だからです。
ですから田植えや稲刈りなどの農繁期には戦うことができない。農繁期には、戦(いくさ)よりも農業をちゃんとしないと、おまんまの食い上げになるからです。
ところが信長の軍団は専業武士だから、24時間365日、いつでも戦うことができる。同時に、訓練も施すことができる。だから信長が強かったとされます。
では、信長の軍団がどうして成立したのかというと、原因となったのが桶狭間の戦いです。
桶狭間の戦いは、戦国大名を自称する今川義元を討った戦いでした。戦国大名というのは、「力こそすべて」という大名です。世の中の道理や権威よりも、実力がすべて。実力さえあれば、何をやっても許される。そういう大名のことを戦国大名と言いました。
一方、信長は、律令時代から続く弾正忠の家柄です。弾正は、世の不正や不義があれば、たとえそれがどのような高位高官であろうと、一刀両断する。それが弾正の役割です。
その織田弾正信長のもとに攻めてきた今川義元の軍勢、5万4,000。一方、弾正信長の軍勢は、4,000です。その差、なんと13倍以上。
ところがそんな強大な敵を前にして、信長は屈することなく、逆に今川義元を討ち果たしました。「力がすべての戦国大大名」を「世の道理を貫く弾正信長が討った!」このニュースは、当時にあって、またたく間に全国に広がります。
そして信長のもとには、戦国の世を終わらせよう、秩序ある日本を取り戻そうとする志ある武士たちが全国から集うようになりました。
その数、なんと数千。こうなると、織田家中のお米だけでは、彼らを食べさせることができません。そこで信長が始めたのが、楽市楽座です。
そして信長は、「天下布武」を印にしました。天下に武を布く。武とは、歪んだものを竹のように真っ直ぐにすることをいいます。
この時代、一般に戦に勝利をすれば、土地が恩賞として与えられました。けれど信長の軍団は、農家ではありませんから、土地は与えられません。恩賞も、ごくわずかなものでした。
けれど信長の軍団には、志がありました。こうして志ある若者たちに支えられて、時代は戦国から織豊時代へと変化していきます。
日本の歴史は、英雄豪傑の歴史ではありません。どんな英雄豪傑であっても、ひとりでは戦えないというのが、日本の古くからの考え方です。支える人たちがあって、はじめて戦うことができるのです。
日本の歴史は、庶民の歴史です。
日本をかっこよく!!
この記事の著者・小名木善行さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com