削除されたYahoo!ニュースの“あまりにも酷すぎる”偏見記事。いじめ探偵が大激怒した「いじめ被害者原因論」をブッタ斬る

 

ネットのニュース番組で受けたあまりに汚い仕打ち

過去、「いじめは被害者にも原因がある」というのはよく言われていた論調であり、私もテレビ番組やインターネット番組に呼ばれて、名だたる評論家の先生方やアナウンサー司会者に詰め寄られて閉口したことがある。

あるテレビ局が制作しているインターネット放送のニュース番組に出演したときは、「被害者にも直す点があるんじゃないですか?加害者がやり玉にあげられて可哀想じゃないですか!子どもですよ!人権があるんですよ!」とあるタレント司会者さんに責め立てられた。反論しようとすると、その司会者がさらにそれを補強しようとする評論家に話を振り、論点がズレたところで、薄笑いを浮かべて、私を指名するという汚い仕打ちを受けた。すでにフロアディレクターさんが、「残り5秒」のカンペを出している。

番組を進行する司会者が偏向的考えの持ち主で、コメントを求められる評論家などが同様の存在であれば、私は生贄として騙されて番組に呼ばれたのだろう。だが、こういうことは以前にもあった。被害者側につくことが多い私は、加害者や隠ぺいしたい学校とそれを応援したい勢力にとっては、倒すべき敵であるのだ。しかし、生贄にも一矢報いることはできる。だから私はこの時、こう言った。

「被害者にも人権があるんですね。その点忘れてないですか?被害者も子どもですよ。それ忘れていませんか?」

番組がCMに入ってテーマが変わる前の5秒くらいが私の尺だったから、全てを反論できないと悟り、言葉を選んだ。まだまだ言い足りないことはある、しかし、すぐにディレクターさんが来て席からはけさせられた。振り返ると、苦虫をかみ殺したような司会者の膨れ面が見えた。その顔は二度と忘れない。まあ強く抗議をしたし、その膨れ面にウインクして挑発したから、二度と呼ばれないだろうが。

さて、それからおよそ5年くらいだろうか、色々な先生方や被害者、心あるメディアの方々が、「いじめられる側に原因はない」という機運を作り、広めてくれたおかげで、加害者脳の人々もあまりこれを口にしなくなった。

ちょっと考えればわかるのだ。いじめという犯罪行為が多い行為を敢えて仕掛けようというのは、加害者の行為選択に過ぎないのだ。つまり、いじめは加害者の選択に過ぎない。それをやられる方のせいだというのは、やはり加害経験があって自己正当したいか、加害者脳がゆえに理解ができない病気と言えるだろう。

これこそ私の感想の領域に過ぎないが、それでも、「いじめられる側にも原因」論はよく学校界隈や教育関係者界隈で耳にする。再度書くが、これは私の個人的な感想だ。

重大事態いじめに介入したときも学校法人や教育委員会に呼ばれて意見書を書く時も、「でも、あの子にだって原因はあるんです!」という言葉を吐かれる。どうしてそう思うのですか?と問えば、大半は被害当事者のことではなく、いじめ問題だと提起した被害保護者とのやり取りのことで、残業するハメになったとか、私だって頑張ってるとか、そういう話だ。

いつの間にかに、いじめに気が付いていながらそれを止めもしなかった教員は、自分がいかに大変だったかを話し、我こそ真の被害者だと主張し始めるシーンに何度も遭遇した。きっとこうした論調は、何度もぶり返すのだろう。

再度書くが、私の経験上の感想だ。

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