「心の専門家の心が成熟していない」という恐怖
心理的側面からすると、被害者はいじめを受けている状態であり、心身の苦痛を感じているわけだ。だからこそ、今の状態から脱するためにどうすればいいかを考えることになる。それを知る保護者もなんとかしなければと思うから、誰かのアドバイスを求めたくなる。つまり、被害者は大いに聞く耳を持っているのだ。
一方、加害者は加害行為によって脳からドーパミンなどが出て心地よい状態になっていることもあるという。少なからず、いじめをする事自体を認知していなかったり、いじめを止めて改善しようとは思わないわけだ。そこに、君は支配型関係性嗜癖だから治療行為が必要ですと言っても言うことを聞かないだろう。つまり、加害者は少なからず、咎められるまで異常な状態だと思っていないから聞く耳は持たない。
被害者は心を病むわけだからスクールカウンセラーのもとに来て相談することもあるだろうが、加害者は自らの行為が異常だとは思っていないことも多く、異常認知の場合はいじめ発覚を恐れて相談室にはまず来ないだろう。
冒頭の記事を読んだ多くの方から、いじめ被害者の特徴はいらない、そもそもその観点がおかしいし、心理職の方々に聞きたいのは、どうやったら加害行為をしなくなるとか、加害者に対応する有効対策だ。との意見が多かった。
対話をすれば別の有効策が生まれたのかもしれないが、それを対立であったり批判だと捉え、人間が持つ進化とも言える議論ができないとはなんとも悲しいものだなと思うのだ。
きっと彼にはこれも攻撃なのだろう。心の専門家の心が成熟されていないことに私は恐怖すら覚えるが、皆さんはいかがだろうか。私は彼が私との議論を求めるなら喜んで応じるつもりだ。
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