橋下徹氏の影響で維新に傾斜していった前原氏
維新に傾斜してゆく前原氏。その端緒は民主党政権の国土交通大臣だった2010年に開かれた。
1兆円超の債務を抱えていた関西国際空港。一方、騒音問題で廃止が検討された大阪(伊丹)空港は経営状態が良好だった。そこで前原大臣は、伊丹空港を株式会社化し、持ち株会社を新設して関空と経営統合させるプランを地元に提示した。
これに対し、当初は廃港を主張していた当時の大阪府知事、橋下徹氏が意見を変えて賛同し、2012年4月1日、新関西国際空港株式会社が誕生した。この協議の過程で、前原氏と維新の創設者である橋下氏の相互理解が深まったらしく、その後、二人の交流が続いてゆく。
22年の参院選における前原氏の行動は、こうした経緯を抜きに考えられない。その選挙期間中、前原氏と福山氏をよく知る京都府議が、テレ朝「報道ステーション」の取材にこう答えている。
「(前原氏を変えたのは)橋下徹さんが登場してからですね。橋下さんと交流されているというのはですね、知っていましたし、私は言いました。これは注意して行動したほうがいいと。だけどそのころから、橋下さんと親密性が増していったようで」
翌23年8月の国民民主党代表選に敗れた前原氏は、ついに党を飛び出す決断をした。党の代表代行という肩書はあっても、党内に居場所がなくなったからだ。同11月30日に3人の仲間とともに離党届を提出、無所属議員を合わせた5人で「教育無償化を実現する会」を結成して、自ら代表に就いた。もちろん維新への合流が念頭にあったに違いない。
そのころ、アベマニュースにおける橋下氏との対談番組に出演した前原氏は、「教育無償化を実現する会」結党の趣旨についてこう話した。
「旧民主党で一緒にやってたメンバーで保守的な人はみんな自民党へ行った。私はなんとか政権交代可能な状況をつくりたい。そのテコとして教育無償化をやりたいということなんですよ。教育無償化に賛成する野党間で候補者調整ができれば政権交代できると思う」
5人で何ができる、大それたことを言うな、という見方もあっただろう。しかし本人は大真面目だった。