「わざとではなくて事故だって私その場で言ってやったんです」
さらに、学校で周囲が突然のことで唖然とする中、加害男児の母親が、怪我の治療等で保健室にいる女児にむかって、「捻挫くらいで済んでよかったね」はもはや発言としてもあり得ないことだろう。
母親本人からすれば、体格差から骨折でなかったからと思ったそうだが、被害女児からすれば、「今回は捻挫程度で済んだけどな…」という脅し文句に感じたかもしれない。
「で、学校はその子(被害女児)があと数日休むと、重大なんとかになるから、大変な事なので、一旦別室指導をするというんです。そんなの人権侵害だから、うちの子はわざとじゃないって言ってるじゃないですか、生徒のいうこと信じないんですか、それでも教師ですかって言ってやったんです。それで、別室は無くなったんですけど、今度は、教頭とかが教室にきて監視しているというんです。もう頭に来ちゃって、私抗議したんです。そしたら、その後、保護者会で、その子(被害女児)の母親がうちの子はいじめられていて、という話をしたんです。クラス委員っていう保護者の委員があって、その役員も一緒に。それじゃまるで、うちの子が悪みたいじゃないですか!だから、わざとではなくて事故だって私その場で言ってやったんです。悔しくて、これっていじめじゃないですか!保護者のいじめ、わかります?」(真の加害児童保護者の言葉そのまま)
私は、この母親がどこで息継ぎをしているのかわからないようなマシンガントークを続けているのを、「はいどうぞ」「それで?」の相槌を打って、話を続けさせていた。
「わかります?」のあとは、さすがにスッキリしたのか、息切れしたのか、話が途切れたので、とりあえず、「わかりません」と言っておいた。
その後は、保護者としてすべきことをしっかりやりなさいという説得をしてみたが、どうやら、私を訴えるそうだ。何で訴えるのかはよくわからないが、さすがに司法もそこまでバカではないだろう。
「人権」を自分都合で使う母親の保護者の資格
当然、すべての人には生まれながらに人権を有する。学校教育でも日本国憲法は習うだろう。だから、加害者にも人権はある。一方で、被害者に当然人権はある。
ここでは、その人権の中でも特に「自由」についての事になろうが、誰もが自由にやりたいように行動をしていたら、他人の自由とぶつかり合う事態も起きるであろう。
私は法律家ではないという前提で記すが、例えば、お金がないから欲しい物が買えないけれど、横をみたら弱そうなやつが自分の欲しいものを自慢げに持っている。憲法で自分の自由な行動や活動は認められているから、自由な行動には制限はないんだとそれを奪えば、当然に窃盗なり強盗なり強要なりになろう。
それで、警察に逮捕され、検察に起訴され裁判で有罪になったら、刑務所に送られる。執行猶予というのもあろうが、有罪は有罪である。さらに、被害側から民事で訴えられれば、賠償責任も負うことになろう。そうなって、私は自由も奪われ賠償責任でお金も取られたから、これは被害者ではないかと言うのと、相談の加害者の母親が言っているのは同じなのである。
人権の自由権とは教科書によれば、他人の権利を侵害しないところまで、公共の福祉に反しないまでのことではなかったか。
家庭教育の中で、加害行為をさせないように丁寧にケアをしていくことを否定し、拒絶し、未熟な子どもを放任して、それを良しとするならば、この母親に親としての資質は皆無と思わざるを得ないだろう。
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