「親と話せばきっとわかってくれる」という大いなる幻想
いじめ被害相談の中で、加害者の親と話せばきっとわかってくれるという被害保護者も多いが、きっとわかるという場合の条件があり、大半はわかりあうことはない。
話し合いでうまくわかりあうというのは、加害が起きた状況を学校が伝えた時点で、すぐさま謝罪をした親や謝罪の機会をくださいと言ってきた親の場合のみだ。
それ以外の多くは、こんなに責められて親である私が我が子を守らないと、という悲劇のヒロイン型の浅はかな思考に陥るなど、視野狭窄になって、どんなに良いアドバイスをもらっても、それに応じることはなかったり、あらゆる意味で声が大きい方の意見が通る無法者思考で押し切ろうとしてきたり、嫌がらせを始めるなどの攻撃を仕掛けてくることもある。
かなり高い確率で、常習いじめ加害者の保護者は、この親あってこの子ありだったかと思える言動を繰り返すし、このいじめ行為は親を真似たのだなと思わせるものだ。
仮にどうしても相手の親と交渉するという場合、私は1つだけアドバイスしていることがある。
「すべての前提において、わかり合えるとは思わないこと」
そもそも、この社会の中で真にわかり合えるということ自体の方が少ないのではないだろうか。現実問題を見れば、わかり合えるだろうカードのみで話すより、わかり合えないかもしれないけどのカードも用意して話す方がより手札も多くなるし、ショックも軽減されるだろう。
あまりに高いいじめ加害者が反社会的人格障害になるリスク
いじめ問題をこれだけ多くやっていると、一時期よりも教育指導の一環として、加害児童や生徒を別室指導する学校は増えてきている。
仮になぜ加害行為をした者が教室におらず別室にいるのか疑問を持つ同級生がいたとしても、それはごく少数で、大多数がいじめ行為を繰り返していたからだと認知していることが多い。こどもたちは口にこそしないが、目の前で起きていたことだとわかっているものだ。
こうした指導体制は、その後のいじめ予防にも効果があり、クラス運営が楽になったという教員もいた。一人では指導しきれないところもあり、目を離す時間や空間もあるから再発も防止できるというのだ。また、加害行為がなぜダメなのか見つめ直す機会や指導の機会がしっかりあり、別室と言えど授業は受けており教育の機会損失とまでは言えない。
一方で、別室指導なんてとんでもないという学校は未だに多いし、別室指導なんて聞いたことがないとそれ自体を非常識だという学校多くある。
ある講演会で、PTAの役員が、別室指導導入について、そんな学校はないと聞いたが、本当ですか?という問いを受けたことがあるが、「え?今どき、普通に導入しているところもありますよ」と正直に答えている。きっとその学校には二度と呼ばれないかもしれないが、別段講演会をするためにこの活動をしているわけでもないし、こういう講演会の報酬はびっくりするくらい安いので、御呼ばれしなくてもどうということはない。
別室指導は罰ではなく教育であるからだ。新聞記事で読んだが、湖西市でいじめ根絶の講演会をした大阪の「子どもの発達科学研究所」の和久田所長によれば、「いじめの加害者は反社会的人格障害になるリスクが4倍」だという。こうならないためにも、教育でなんとかできるならば、しっかりと指導しなければならないだろう。
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