みのもんたさん全盛期の「密かな焦り」と「伝説的ワインテイスティング」 心理学者・富田隆氏が目撃した『おもいッきりテレビ』名司会者の素顔

 

いつ寝ているのか?心配する私にみのさんが返した「意外な一言」

90年代に入ると、彼のレギュラー番組は怖ろしい数に増え、業界内では「いつ寝ているんだろう?」と噂されるようになりました。

そんな忙しい状況でも、赤坂に繰り出して飲むことはやめなかったようです。

あるパーティーでお会いした時に、彼の身体を心配した私が「少し、仕事の時間を減らしてはいかがですか?」と余計な忠告をしたことがあります。

すると、みのさんは、めずらしくしんみりした声になり、「この業界では、いつ急に仕事が来なくなるか分からないんですよ」と言い出すではありませんか。そして、「ですから、仕事をいただける時には、とにかくそれを受けなきゃいけないんです」と言うのです。

当時、次々に高視聴率を叩き出し、引っ張りだこのみのさんであっても、ある種「強迫神経症的」と言っても良いような「仕事が無くなることへの不安」を隠し持っていたのでしょう。

その後、大学の仕事量が増えたこともあり、私のテレビ露出はめっきり少なくなりました。正直に言えば、出たいと思うような番組が減ってしまったのも、私がテレビ業界から距離を置くようになった一因です。

そして、みのさんとご一緒する機会もほとんど無くなりました。

ですから、私がみのさんを間近に見ることができたのは、彼が一番輝いていた頃だったのかもしれません。そして、彼の番組出演がインフレ状態だった頃、すでにバブルは崩壊していましたが、まだまだテレビ業界は大らかでした。ネットが君臨する今の時代とは違って、広告宣伝の王座は、相変わらずテレビが独占していたのです。

使えるお金も豊富で、倫理規範もゆるゆるというか、今の様な細々としたコンプライアンスなどというものも存在していなかったように思います。年寄りの業界人が「昔は良かった」と言う理由のひとつは、当時の規範のゆるさ、あるいは自由度の高さ、にあるのではないでしょうか。

そんな時代だったから、局の側も、みのさんが発揮した「生番組」での自由奔放さや機転の効いたアドリブなどを活かすことができたのだと思います。(次ページに続く)

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