パラドックス的な党内で「求心力」を作れるかという問題
2番目の観点は、イデオロギー問題です。日本の場合は、前回の参院選で右派のポピュリズムが一気に加速しましたが、これはあくまで、タレント議員が知名度で票を稼ぐのと同じです。どうでもいい感情論に根ざしたポピュリズムで、票を稼ごうというのですから、無責任極まりません。もっとも無責任というのは左派も同様です。
ですが、自民党内の場合は少し様子が違います。例えば、現在のイデオロギー上の大きなテーマであるのは、中国との外交と、外国人への排外感情です。その場合に、自民党の政治家としては、選択できる政策には幅はありません。自民党には保守派というのがいて、これはテクニカルに2種類のグループに分けられます。
第一は組織票が弱いので、都市部の右派浮動票をかき集める必要のある議員です。ネトウヨに受けるようなパフォーマンスを繰り返しているのはこのグループです。第二のグループは、既得権益を抱えた支持層に対して、支持を固めるために右派のイデオロギーを使っているグループで、これは地方選挙区に多いわけです。
前者は永遠に実行不可能なファンタジー的な右派言説を垂れ流す必要があるグループですが、後者の場合は、ある程度の満足を支持者に与えれば、票は囲い込めるというグループです。この後者、つまり利権誘導型の選挙区を勝ってきた政治家の場合は、ビッグネームであればあるほど、「今の時代には利権誘導はできない」一方で「人畜無害な右派イデオロギーを見せることはできる」その上で「国を代表した実現可能な政策を選択」していくわけです。
安倍晋三氏が一番いい例で、利益誘導はできない中で、右派的なパフォーマンスはする、けれども実際の政策は実現可能なゾーンの内側で、場合によっては中道左派的な政策も実行したわけです。
この安倍氏の例が示しているのは、選挙区は保守、これまでのパフォーマンスは保守、けれども政策は実行可能な範囲で、中道左派の政策も進める、という複雑な立場を取った場合に、比較的政権は安定するということです。
安倍氏の場合は、右派のイデオロギーをパフォーマンスで見せても、それでも足りない分は、秘書などが「桜を見る会」的なエサ撒きを止められなかったわけです。それぐらいに、利益誘導はもうできなくなっているし、既得権の保護も限界に来ているわけです。そんな中で、弁当や観劇、旅費といった餌に加えて、右派のイデオロギーという「エンタメ」を見せて、辛うじて支持者を繋ぎ止めているということだと思います。
裏返して考えると、日頃から選挙区がニュートラルもしくは、多少に都市型で、リベラルな言説で売っていた政治家の場合は、総理総裁になって地方票と向き合う場合には、「突然右派的になってパフォーマンス」をする必要があったわけです。石破氏の場合は、その芸当に乗らず、なおかつ米価の問題で地方票を敵に回したことが命取りになったのだと思います。
今回の政局に対して考えるべきなのは、例えば小泉、高市、林、小林といった面々が、どの程度こうしたパラドックス的な自民党の中で、求心力を作れるかという問題です。
高市、小林といった保守パフォーマンスで売っている政治家の場合に、保守的な地盤を引っ張りながら、最終的には実現可能な政策のゾーン内で社会を先に進めるのかが問われます。
保守的な地盤でありながら、中道左派的な言動が許されている林芳正氏の場合は、少し逆で、もしかしたら利益誘導的な活動、あるいは人脈的なものを基盤にしているのかもしれません。また日頃は中道左派的な言動をしていたというイメージが強すぎると、総理になったら保守的な言動に振らざるを得なかったりします。
いずれにしても、保守的な人がなれば政策が保守的になる、中道左派的な人物であれば政策もそうなるかというと、じつは反対の力学が作用すると見なくてはなりません。
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