中国総領事が「首を斬る」といった過激な表現で反応するなど、日中関係の緊張を一気に高めた高市首相の「存立危機事態」発言。この危機的状況を、日本政府はどう収拾すべきなのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、過去の類似ケースを検証しつつ今般の対立が生じた背景とその構造を分析。さらに日中両国が早急に構築すべき「新たなコミュニケーション・チャネル」の必要性や、EV覇権争いを見据えた日本外交の進むべき道について検討しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:高市総理と中国のトラブルを評価する
日中関係が再びこじれる構図。高市総理と中国のトラブルを評価する
高市総理と中国とのトラブルが続いています。この種の問題については、当事者である双方首脳には、トラブルを解決する動機よりもトラブルを継続する動機のほうが上回ることが多く、そのためにトラブルが一定期間継続するのが通例です。
そうではあるのですが、長期化することでトラブルの大きさが増大してゆくようですと、関係者の全員に負荷がかかり良くない影響が出るわけです。
ですから、どこかで出口を見つけなくてはならないのですが、今回はまず類似の事例をいくつか検討することで、改めて現在のトラブルを評価してみたいと思います。
1つ目は、2001年4月にアメリカと中国との間で発生した海南島事件です。これは、中国南部の海南島付近の南シナ海上空で、アメリカの電子偵察機(海軍所属のEP-3E)と中国の戦闘機(J8ll)が空中衝突したとされる事件です。衝突により中国のJ8llは墜落して操縦士は行方不明。一方で、EP-3Eの方も飛行継続は不可能となり、海南島にエマージェンシー着陸となりました。
この際に、EP-3Eの操縦士は中国サイドに身柄を拘束され、機材も差し押さえとなったのでした。当時この事件は相当に深刻とされて、アメリカでは連日大きく報道がされていました。
とにかく海軍のパイロットと、機密の塊である偵察機を奪還するというのが、アメリカの至上命題でした。またパイロットを抑留されているという状態は、当時のアメリカ世論にはイラン革命の際に起きた大使館人質事件の記憶を喚起させるという効果もありました。
事件の経過としては、当初は相互に非難の応酬が続いたのですが、発生後12日目に和解が成立してパイロットは釈放され、機体は返還されました。この和解ですが、なかなか興味深い内容となっています。
まずアメリカのGWブッシュ大統領は就任直後の大きな危機として手腕が試される局面となったわけですが、基本的には全面的な謝罪を行っています。
内容としては、犠牲となった中国機のパイロットの妻にブッシュが個人的な弔意の書簡を送るとか、拘束されていた期間の米兵の滞在費や食費として約3万5,000ドルが支払われました。
一方で、喪失した機体の弁済と死亡した中国兵への弔慰金として中国が要求したドルで1ミリオンの支払いについては、ブッシュは拒否しています。
つまり一人のパイロットの死亡という事実については遺族に謝罪し、拘束されていた米兵の滞在費という少額実費については払うが、事件の全責任がアメリカにあるような弔慰金と機体の弁償はしないという、不思議な落とし所が成立したのでした。
一説によれば、中国サイドは偵察機EP-3Eのシステムやデータを十分に吟味する事ができたし、機体が返還された後でアメリカ側は全面的なシステムの改修を余儀なくされたので、中国としてはそちらで満足したという説があります。
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