芭蕉の本業は、水道開削官だという説にも驚かされ、『奥の細道』の目的は運河視察と言われて、なるほどと頷いた。
「当時としては、最先端エンジニアということですね」と応じて、嵐山に「その通り、最先端エンジニアとはいい言葉だ!」とリップサービスされて、一矢報いた感じがしただけだった。
しかし、嵐山の「初の自伝的大河小説」と銘打たれた『口笛の歌が聞こえる』(新風舎文庫)を読むと、草書の嵐山が浮かび上がる。
解説を書いているのが唐十郎。
唐によると、20歳を過ぎたばかりの頃、嵐山がよく通う渋谷のバーの招待状が届いたので、出かけた。
クリスマスイブの日だった。
イブの日のショーなんか馬鹿げていると思って30分ほど遅刻したら、嵐山のショーは終わって半裸で銭湯に向かおうとしていた。
体には油を拭き落とした跡があるが、青カビに似た金粉が付いている。
唐もそういう商売をしていたので、金粉ショーをやっていたのだなと気付いた。
手っ取り早く金粉を洗剤で落とすと青黒く変色するからである。
嵐山は「おっ来たか、ちょっと来い。もう1回見せてやる」と言ってバーに戻った。
唐の言葉をそのまま引こう。
「金粉を天ぷら油で溶かして体に塗るには勇気がいる。
死ぬことはないが、苛立つのである。
ぼくも商売で、一晩に一度塗ることはあったが、落としてもう一度塗ったことはない。
ぼくのために二度塗るという彼に、僕は参った。友として離れられなくなったのはこの時からだったかもしれない」
唐も嵐山も不良をマジメにやって亡くなった。
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