高市政権が捨て去る「戦後日本の正常な道徳感覚」
朝日川柳だったか「落ちぶれて武器ありますの暖簾だし」という一句があったが、その通りで、武器なんぞを売って商売にするのは国として品格を失って「落ちぶれる」ことだというのが、戦後日本の正常な道徳感覚なのだ。
3月17日の参院予算委員会では、公明党の西田実仁議員が50年前の宮澤喜一外相(当時)の「兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない。もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきだ」という答弁を引用しつつ「平和よりも一時的な経済利益を貪欲に追求する国であってよいのか」と質したのに対し、高市は、こう答えた。
▼今は、日本を取り巻く情勢が非常に厳しいものになっている。我が国一国だけではなく、同志国を含めもう時代が変わったと感じる。
▼経済成長にもつなげる。国民生活の豊かさにもつなげる。そして国をしっかりと守る、そういう時代に入っている。
これは問題山積みの発言で、まず第1に、「日本を取り巻く情勢が非常に厳しいものになっている」というのは本当か?
冷戦時代に旧ソ連軍の北海道への着上陸侵攻という可能性が皆無とは言えなかった頃と比べると、「今の日本を取り巻く情勢」は遥かに緩和されていて、ロシアはもちろんのこと北朝鮮も中国も、日本に対して大規模な渡洋・上陸・占領作戦を敢行して日本支配を試みるようなシナリオを持っていないと判断される。
こういう決まり文句を繰り返して印象操作をするのでなく、何時と比べてどこのどういう脅威がどのくらい増していて、それに対処するには本当に一国では間に合わないようなことになっているのか、正しいインテリジェンスを国民に提供しなければならない。
第2に、この「同志国」とは何か。
日本にとって、安保条約で固く結ばれている「同盟国」は米国だけだが、近頃は他に「同志国」というものが出来ていて、AI検索の言うところでは「日本が民主主義、法の支配、基本的人権などの普遍的価値を共有し、安全保障上の利益が一致する米国以外の国を指す概念」として「英国、オーストラリア、インド、フィリピン、フランス、ドイツ、イタリア、マレーシア、インドネシア、ベトナム、タイ、スウェーデン、シンガポール、アラブ首長国連邦などがある」とされるが、この用語に法的な定義はなく、その時々で都合のいい相手国を勝手にそう呼んでいるだけとも指摘されている。
それ以前の問題として、本当に民主主義、法の支配、基本的人権などが「普遍的価値」なのかどうかは自明のことではなく、なぜなら今ではそれらから一番遠い野蛮国は米国だからである。
第3に、武器輸出が「経済成長」や「国民生活の豊かさ」につながると言うが、本当か。
GDPで測る豊かさには多少ともプラスになるには違いないが、人間としての誇りとか、「ノブレス・オブリージュ」あるいは「武士は食わねど高楊枝」的な心の気高さから言えば酷く貧しくなっても構わないから、「目先の利益を追いかけましょうよ」と高市は言いたいのだろうか。
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