「日本のデジタルは日本国内で作っていく」という転換
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本論です。日本経済がさらにこの先、円安に進む場合に2つの大きな崖に直面すると考えられます。エネルギーとデジタルの崖です。それぞれについて見てゆきます。
まず、デジタルですが、この先にドル円で200円、230円という水準になっていった場合ですが、円建ての日本経済が「デジタル赤字に耐えられない」という臨界点が来ることが考えられます。例えばですが、AWS(アマゾンのクラウド)などは、料金的にペイできないので、クラウドの領域は民族資本のものしか買えないという時期は意外に早く来そうです。
動画配信とかSNSも同じで、向こうさんから見れば「ドル建てでは極小の広告収入しか生まない割にリソースを食う市場」ということになれば、どんどんサービスは切られることになると思います。スマホのハードもOSも然りということになります。AIなども最新バージョンは法人需要であっても、なかなかコスト的に手が出せないということになります。
問題は、この「手が出せない」ということです。これは大きな崖になります。ヘタをすると、日本国内の官公庁にしても、内需産業にしても「デジタル赤字」はもう払えないということになります。大変な問題です。そして、不連続な変化が日本の社会に生じていくことになるでしょう。
では、そこで日本社会はある種の極端に走っていくのか、つまり「デジタルは高くて払えない」ので、デジタルより安い「人力で」という状況に陥っていくのか、論点はそこになります。結論から言えば、「そうはならない」という方向性に賭けたい、そう思います。人口が減り、労働力もどんどん減っていく社会です。流石にデジタルでサクサクできることを、紙と手書きと人力に戻すということは物理的に不可能です。
ということであれば、この崖、つまり不連続な変化というのは、「デジタル赤字の垂れ流し」から、「本当の民族資本、民族技術によるデジタルへ」という変化になっていくべきです。いや、それしか取るべき道はないとも言えるでしょう。相変わらず、一部のプラットフォームはシリコンバレーのものを使うかもしれないし、例えば廉価でセキュリティ上の問題がないのなら、中国勢のものを採用するかもしれません。
それはそれとして、その一方で、とにかく日本国内のニーズを満たす日本のデジタルは、日本国内で作っていく、そのような転換が起きるのではないかと思うのです。デジタルを担っていくだけの言語と数学の最低リテラシーについては、平均値としてはまだまだ日本人は高いレベルにあります。これまでは、マネジメントが政財界も官界もダメだったので、マトモな生産性向上ができなかったのです。
ですが、ある臨界点を越えて円が安くなり、もうデジタル赤字は払えない、となった際に、まだ言語と数学のリテラシーのある人口が残っていたのなら、日の丸デジタルを本当の意味で立ち上げていく流れになるはずです。そして、その場合には、仮に相当の人口が本気になったのなら、それこそ戦後の闇市から本田やソニーが生まれたように、マジックの再現も可能になるかもしれません。
私は冗談で言っているのではありません。これだけ高いリテラシー、文字通りのリテラシーを誇る人口が、デジタル赤字にあえぐということ自体がおかしいのです。いくら、デジタル嫌いの団塊世代がアンシャン・レジームを死守していたからといって、とにかく全くの不自然が半世紀続いたわけです。その潜在力を解き放つのであれば、今のような生産性の低迷からは脱することができるはずです。
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