■敵よりも身内を恐れるようになる長期化した紛争の指導者
ところが、この電話会談とまったく同じ9月8日に、もう一つの出来事が起きていました。ロシア軍のジェット推進式ドローンがモルドバの領空に侵入し、ノルウェー前国王ハラルド5世の葬儀に向かうゼレンスキー大統領の搭乗機が、首都キシナウの空港で足止めされたのです。モルドバ当局はドローンの侵入を検知して領空を閉鎖し、機体の墜落を確認したのちにようやく離陸を許可しました。
ドローンは空港から160キロほど離れた場所で爆発したと伝えられています。駐米モルドバ大使はCNNの取材に対し、ゼレンスキー氏の搭乗機が地上に駐機している最中に監視目的のドローンが偶然迷い込んだとは考えにくいと述べる一方、標的が大統領機だったと断定するのは時期尚早だとも語っています。
ノルウェーのストーレ首相は、ゼレンスキー氏の搭乗機がまさに離陸しようとした瞬間にドローンと衝突しかけたと明らかにし、これがゼレンスキー氏の直面している現実だと表現しました。同じ日、2機目のドローンもモルドバ領空に侵入し、そのままルーマニア方面へ飛び去っています。
本件について、ロシア大統領府はコメントしていません。トランプ大統領とプーチン大統領が電話越しに「建設的で率直な」対話を交わしていた、まさにその同じ一日に、ウクライナの大統領機はドローンの脅威で足止めされていたのです。
これほど分かりやすい形で、言葉と現実の分裂を見せられた一日はなかったと思います。
ここまでの経過だけを見れば、和平に向けて歯車が回り始めたように見えます。しかし、報道されている会談の中身を見ると、話は少し違ってきます。トランプ大統領はこの電話会談で30日間の停戦を求めたと伝えられていますが、プーチン大統領が示したのは、エネルギー施設への攻撃を条件付きで制限する程度の譲歩にとどまり、残りの時間の多くは、ドンバス地域を完全に掌握できるという戦場での見通しを説明することに費やされたとされています。
独立系の専門家の間では、プーチン大統領がドンバスを完全に制圧するまでは、本気で交渉に応じない可能性が高いという見方も出ています。
実際、米側の使節団がモスクワとキーウを訪問した直後、ロシアはキーウへの大規模な攻撃を再開したとも報じられています。対話の言葉が丁寧になるほど、現場の攻撃が止まらない、これが今のウクライナ情勢の実相だと私は見ています。
ゼレンスキー大統領にとっても、この状況は楽ではありません。侵攻開始から4年目に入り、国内の戦時世論調査では、和平交渉のために一定の領土的譲歩もやむを得ないと考える国民の割合が、開戦当初と比べて着実に増えていると伝えられています。
情報機関どうしの内輪もめが表面化したタイミングも、決して偶然とは言い切れません。戦争が長引くほど、指導者の周囲では疑心暗鬼が強まり、権力の使い方そのものが荒くなっていく、これもまた紛争の現場でよく見る現象です。
私が現場で見てきた限りでは、長期化した紛争の指導者は、外の敵よりも先に、身内の裏切りを恐れるようになります。味方であるはずの組織を疑い始めた指導者は、判断の質そのものが落ちていきます。
ゼレンスキー大統領の情報機関人事が、対ロ工作の強化ではなく、身内の統制強化を優先した結果に見えるとすれば、それはウクライナにとって決して良い兆候ではありません。
この矛盾を理解するうえで、ラブロフ外相の発言が手がかりになります。ラブロフ外相は、単なる停戦では問題は解決せず、NATOの東方拡大とロシアの安全保障上の懸念を解消しなければならないという立場を繰り返し語っています。
この発言を額面通りに受け取るなら、ロシアが本当に問題視しているのは、ウクライナ一国の帰属ではなく、東欧・北欧全体におけるNATOの軍事的プレゼンスそのものだということになります。
フィンランドはどうするのか。エストニア、ラトビア、リトアニアはどうするのか。そう考えていくと、この論理の射程はウクライナよりはるかに広いことが分かります。
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