安倍改造内閣の裏で、そっぽを向かれた「二人の男」

 

反対に、下げた方の筆頭はその岸田派を率いる岸田文雄外相。宏池会本来の軽武装・経済重視のリベラル寄り路線を棚上げにして安保法制成立の先頭に立って奮闘し、野田に同調しそうな自派の若手を必死で切り崩して安倍への忠誠心アピールしたものの、改造前は5人もいた自派の閣僚で残ったのは岸田本人ただ1人。「これでは派に帰って説明ができない。せめてもう1人、宮越光寛(同派事務総長)の初入閣を」と岸田は安倍に泣きついたが、無視された。安保法制への貢献は認めるけれども、野田の立候補を事前に止められなかった派閥領袖の責任は重いという、一種の懲罰人事だろう。

同じくらい男を下げたのは石破茂地方創生相だ。このタイミングで派閥結成に踏み切るからには、来夏参院選後に向けて相当な覚悟を固めたのだろうと思いきや、だらしなく留任して閣内に留まった。どうするつもりかハッキリしないので周りも大迷惑で、かつては40人ほどいると言われた石破系のうち派閥に加入したのは20人、初会合の出席者は何と11人だった。地方創生の仕事も、新設された加藤勝信「1億総活躍」担当相の副大臣といった位置づけになって、ますます出番がない。総裁レースからはほぼ脱落したと言えるのではないか。

ウジウジする者は指導者にも参謀役にもなれず、ハキハキした者は伸びる。その明暗がくっきりと分かれたのがこの1カ月だった。

image by: 首相官邸

 

 『高野孟のTHE JOURNAL』より一部抜粋

著者/高野孟(ジャーナリスト)
早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。
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