「ビートたけしのTVタックル」に疑問。引きこもり解決に必要なものとは?

 

支援する者として、引きこもる当事者と家族の苦悩に近づかなければ、真剣な対応は出来ない。

私見では、それは根気と体力がいる仕事であり、人が生きることは、人との関わりあい、社会とのつながりがなければ不可能だから、生きることと外に出てつながることはほぼ同義語である。
それを拒否する「引きこもり者」の心持は原因があるからで、傾聴する支援者が当事者自らの熟慮と声に出して表現することを促し、その言葉の積み重ねで原因を探し当てるのもよいし、社会への間口を用意して、一歩を促進することもある。そこには怒声も罵声も暴力もない

静かに語りかけ、関係を構築しながら、一歩一歩の信頼を得ていく「静寂の中の作業である。
この仕事を表現するのは映像化にしても記事化にしても難しい。ウィルバー・シュラムの「ニュースの本質」によるところの「快楽原理による即時報酬」論に突き動かされたセンセーショナリズムで表現される世界ではないのである。

記者会見した斉藤環さんは、本稿でも紹介している精神疾患者を対話で治癒するフィンランドの「オープンダイアローグ」方式を積極的に日本に紹介している立場であり、私自身も、この手法を就労移行支援事業所で取り入れ、家族だけに負担を強いることなく、地域で精神疾患者を治癒する仕組みの構築を目指す立場である。

治癒の現場には、どんな形であれ、暴力は介在してはいけないと考えている。暴力はすべてを崩壊させてしまう。物理的な破壊的な暴力だけではなく、(今回の放送にあったような)怒声さえも、大きな物音さえも必要ない。それら暴力的なものは親和的になろうとしている気持ちを怯えさせ、融和な空間を引き裂き、痛んだ心を回復不能にさせてしまうのである。

今回、記者会見で当事者の声が上がったのはよいきっかけにならないだろうか。社会でできる支援に向けて、ここから議論を展開できないかと考えている。

image by: Shutterstock

 

メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』より一部抜粋

著者/引地達也
記者として、事業家として、社会活動家として、国内外の現場を歩いてきた視点で、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを目指して。
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