日本人が持つ「米国の笑いは日本より稚拙」という根拠のない自信

 

理由1 日本は島国ならではの共感性が武器になっている

日本のお笑いの方が面白いのは、僕たちが日本人だから

元も子もないけど(笑) 前述した通り、お笑いはその地域に根付いた文化なので、日本人には日本のお笑いの方が、面白いに決まってる。

とくに「あるある」ネタなんて、日本人として、日本で日々暮らしているからの「あるある」なわけです。 そこには親近感も安心感も付加されます。 実際経験した出来事をなぞられれば、共感しないわけにはいかない。 笑ってしまう。

例えば、タンザニアの村の人たちの「鹿を狩猟する際のあるある」を話されたところで、共感を持つ日本在住の日本人は限りなくゼロに近い 。

「牡鹿かと思ってハンティングしたら、繁殖期の気性の荒い牝鹿だった!」

ひょっとしたら、タンザニアのある村では、爆笑かもしれません。 ドッカン、ドッカンかも。でも渋谷を歩いてる女子高生にしてみれば、ただの「ディスカバリーチャンネル」のナレーションです。 笑う前に、感心する。 ただのトリビアだ。

おそらく、バナナマンのふたりの育った環境と、テレビの視聴者が育った環境はそれほど遠くはない。 違いはあっても、成長してきた過程にそれほどの文化差異は考えにくい。 特に日本という狭い国において。

笑いにとって大きな武器となる「共感」は、同族の人間にこそ威力を発揮します。

自分の過去を振り返って、思い当たるふしがあれば、共感とともに笑ってしまう。

アメリカ人のあるあるは、アメリカ人にしかわからないのかもしれません。

日本人が見た、聞いたところで、面白いとは思えないかもしれません。

もちろん、逆もまたそうです。 アメリカ人が「ゴッホより、普通にラッセンが好き」と聞かされても、そうなんだ、と思う。 ラッセンが一時期流行った日本のブームを彼らは知らない

理由2 アメリカは多種多様の民族を納得させるために深いところではなく、最大公約数の笑いに徹する

アメリカのお笑いが大したことないと思わせる理由に、日本に輸入される、ハリウッド産のアホ・コメディ映画の影響も大きいのではないかと思います。

字幕スーパーという、そのすべての意味を限られた文字数で表現しなきゃいけない映画というジャンルで、心の底から「面白い」と腹を抱えて笑える日本人は少ないと思います。

実はアメリカ人だって、それらコメディ映画を心から喜んでいる人は一定数しかいません。 全国民大爆笑なんてことはない。

単一民族と違って、あらゆる民族のあらゆる文化が混在するこの国で、全員を笑わすのは無理が生じます。

でも、ハリウッドは興行収入の為に、クリスチャンであれ、イスラム教徒であれ、白人であれ、黒人であれ、ベジタリアンであれ、笑わせなきゃいけない。

特に、アメリカの場合は、映画館にみんな「笑いに」行きます。 日本と違って。日本は映画館に「泣きに」行きます。 これは間違いない。

全米が泣いたー」とか「感動巨編」というキャッチフレーズが飛び交い、新作のテレビコマーシャルでは、劇場で鑑賞終わりの涙目の観客を拾い、カメラに向かって、どれだけ感動したかをしゃべらせる。

ここ近年の大ヒット作のラインナップを見てもわかります( 「永遠の0」だの、「STAND BY ME ドラえもん」だの )

そうやって、アメリカの映画文化自体、劇場にみんな「笑いに行く」ので、コメディ映画の需要を無視は出来ない。 出来ない上に、幅広く「誰もが楽しめる」作品を作んなきゃいけない。 じゃないと絶対数の観客を取り込めない。

なので、バナナですべってころんで、な単純アクションを基本軸に持ってくる。 だいたい子供から、お年寄りまで「誰もが楽しめる」モノに、本当に笑えるモノはない。

島国の狭いコミュニティーの単一民族を笑わせる日本は、どんどん深く、深く、ベクトルを向けられる。

対して、アメリカ国民という膨大でファジーなターゲットに、深さを追求できません。 やっぱり、わかりやすい面白さ、が必要になってきます。

で、そんな作品が輸入される(笑)日本に(笑)で、それを見て、日本人が言う。

「くだらない。」と。

そりゃそうだ、くだらないと思ってアメリカ人はそれらを作り、くだらないと思ってアメリカ人は映画館に通ってる

その内情を知らなければ「日本のお笑いの方がクオリティー高い!」と思ってしまうのでは当然です。

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