日本のお笑いは、スタイルが確立されすぎて、一連の流れの中からはみだしにくい。
おもしろいという価値観が刷り込まれすぎて、オートマチックに笑いを生み出してるように思います。
ひな壇がボケて、ちゃんとMCの宮迫サンが、今のコメントの、なにが面白いのかを丁寧に説明してくれる。 ( おそらく、これが「ツッコミ」という動作だと思うのですが )それをまったく排除して、自分の頭でどこが面白いかを分析出来るセンスを持つ人間が、あの収録スタジオの客席の女性の中に何人いるんだろうと、考えてしまう。
日本のバラエティ番組を見て、めちゃくちゃ違和感を持つのは、あの、「外国映画の字幕スーパーばり」の画面下のテロップです。
これ、日本の人、気付いてるのかな。 ちょっと異常な量だということに。ヘタしたら、演者の発するほとんどすべてを丁寧に、テロップで流すー。耳の不自由な方の為用なのかと疑うほどです。
試しに、音声を0にして、観てください。 テロップを読むだけで、ほぼ内容を把握できます。僕なんか、バカにしてんのか!ってちょっと不快感まで持っちゃいます。
だって、あれ、説明してるわけでしょう。
「ここ!そう、ここ!ここが面白いんですよ♪ 」って。
本当に必要なのか、アレ。 押し付けるなよ。
あのテロップに慣れてしまったら、どこがオモロい箇所か自分で気付かなくなっちゃうんじゃないか。 自分で考えなくなっちゃうんじゃないか。
例えば、うちの会社のメンバーで、ごはんを食べに行く。
みんなで盛り上がる。 ひととおり笑う。 で、帰り道、みんなが笑ってない箇所が、シーンが、ホントはおもしろかったりして、ひとり帰りの地下鉄車内で、ほくそ笑む。 誰に知られるともなく、ひとりニヤニヤ、笑いを噛み殺す。
そういったことがなくなる、すべてを説明する文化—。
俯瞰(ふかん)で状況を観て、「みんな真面目だけど、実は、あのとき、必死で笑いを噛み殺してた 」ってことはアメリカ人の方が多い気がします。