さよなら米国。トランプの「米国ファースト」がもたらす世界の終わり

 

「世界の警察官」の辞め方が難しい

グローバリズムの問題には、軍事・外交面があって、それはどうしたら米国は「世界の警察官」であることをやめて、それに代わるべき多極世界の秩序づくりに主導権を発揮することが出来るのか──もっと端的には、米国は「冷戦をきっぱりと卒業することが出来るのか、という問題である。

ブッシュ父は89年12月にマルタ島でゴルバチョフと会談して「冷戦終結」を宣言したのだが、彼はこのことの世界史的な意味を取り違えていた。本当は冷戦には勝者も敗者もなく、両超大国が、お互いに間合いを取りながらも、核と通常兵器の軍縮に取り組みつつ、1945年以来の東西対決の国際的な枠組みをボルトを1本ずつ丁寧に外すようにして解体していくプロセスに踏み込まなければならなかったのに、彼は米国が冷戦に「勝利」し、もはや敵う者のない唯一超大国になったのだと錯覚した。その現れが91年の湾岸戦争の発動で、それが今日に至る米国の対外路線の長い長い「迷走」の出発点となった。

クリントン政権は、国防費の大幅削減、軍民転換(インターネットやデジタル衛星通信など軍需用に開発された先端技術の民需用への開放)によるIT経済戦略を積極的に進め、経済面からの脱冷戦には取り組んだものの、包括的核実験禁止条約の議会批准に失敗し、またブレジンスキー元補佐官の誤った進言を容れて「NATO東方拡大」に踏み出し、その延長で95年コソボ紛争でNATO軍を率いて空爆作戦に踏み切るなど、軍事・外交面について言えば何ら一貫したものはなかった

ブッシュ父の錯覚は、ブッシュ子が就任早々に9・11の大惨事に遭遇したことで、「単独行動主義」に基づく「対テロ戦争」という致命的に誤った戦略として具現化されて世界に禍をもたらした。結局、米国は、誰の言うことも聞かず、旧ソ連による牽制や抑止からも自由に、世界最強の軍事力を恣に振り回して問題を解決できるかのような幻覚に嵌まり込んでしまった。ネオコンという「世界永続民主革命」論とも言うべき特殊なイデオロギー集団を安易に政権中枢に引き入れたことが、その幻覚をさらに深刻なものにした。その結末が今の中東大動乱である。

オバマは、その幻覚から米国を救い出してまともな軌道に乗せ替えるために頑張ったとは思う。彼が就任早々に「核なき世界の実現を高らかに宣言し、ノーベル平和賞まで貰った割には実際には大したことは出来なかったとは言え、任期の終わり近くになってイランとの核合意を成立させたこと、広島を訪れたことは、1つの一貫したメッセージではあった。アフガニスタンとイラクからの撤兵は当然のことではあるけれども、ブッシュ子政権がこの2つの国の枠組みをブチ壊してしまった誤りの深刻さを後始末するのは容易なことではなく、その難渋を突いてISという癌細胞のようなものが生まれアル・カイーダが復活するのを防ぐことは出来なかった

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