さよなら米国。トランプの「米国ファースト」がもたらす世界の終わり

 

「電子的金融資本主義」という化け物

今日的なグローバリズムの問題には経済と軍事の両側面がある。前者は、新自由主義、市場万能主義のなれの果てとしての「電子的金融資本主義」が08年リーマン・ショックで破裂してしまった後に、資本主義の本家本元である米国が、世界の人々ばかりでなく自国の大多数の人々をも不幸に陥れるこの経済モデルをいかにして乗り越えていくのか、という問題である。

水野和夫が言うように、16世紀以来、外へ外へと「地理的・物的空間」=フロンティアを拡大することで利潤を確保してきた資本主義は、20世紀末、いよいよこれ以上貪るべきフロンティアを失って、終焉の時を迎えた。しかしその時米国は、「電子空間」という物理的制限のないヴァーチャルな空間を「カネがカネを生む金融的カジノのゲーム場として開放し、これを資本主義の延命装置とすることを思いついた。その結果、世界GDP総額の1.5倍の株式・債券取引、10倍のデリバティブ取引、15倍の外国為替取引が、スパコンに組み込まれた金融工学的に自動化されたプログラム従って1取引当たり10億分の1秒のスピードで飛び交うという、資本主義の戯画ないしその末期的な症状としての電子的金融資本主義の時代が到来した。

このシステムは二重の意味で危険で、一方では、このゲームに参加出来るのは胴元である大銀行やブローカー、その上客である大富豪や投機ファンドや機関投資家などごく一部の人たちだけであり、その一握りの人たちに社会的な許容限度を超えた金銭的富の集中をもたらす。他方では、圧倒的多数の人々はそのゲームに参加資格を持たないのは仕方がないとして、そのゲームの結果には否応なく巻き込まれて翻弄されざるをえない。スーザン・ストレンジは『カジノ資本主義』(岩波現代文庫)で早くからそのことを喝破していた。

金融中枢の世界的カジノ……では、我々のすべてが心ならずもゲームに巻き込まれている。通貨価値の変動は農民の農作物の価値を収穫前に半減させてしまうかもしれないし、輸出業者を失業させてしまうかもしれない。金利の上昇は小売業の在庫保有コストを致命的なまでに引き上げてしまうかもしれない。金融的利害に基づいて行われる企業買収が工場労働者から仕事を奪ってしまうかもしれない。

金融カジノでは誰もが「双六」ゲームにふけっている。サイコロの目がうまくそろって突然に好運をもたらすか、あるいは振り出しに戻ってしまうかは、運がよいかどうかの問題である。

このことは深刻な結果をもたらさざるを得ない。将来何が起きるかは全くの運によって左右されるようになり、熟練や努力、創意、決断、勤勉がだんだん評価されなくなる。そうなると社会体制や政治体制への信念や信頼が急速に消えていく。自由な民主社会が最終的に依拠している倫理的価値への尊敬が薄らいでいく危険な兆候が生じる。

現代社会は、ただでさえいささか不公平なシステムだというのに、そのうえ不運によって傷つきやすくなっているというのでは、まったく平等とかけ離れた事態である。……こうなると欲求不満や怒りが強まり、いっそう暴力的に表現されるようになる……。

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