さよなら米国。トランプの「米国ファースト」がもたらす世界の終わり

 

金持ちがラスベガスで遊んでいくら儲けようと損しようと、一般人には関係がない。しかし資本主義の中枢で行われるこの金融カジノは、否応なくそれに参加していない一般人の運命を振り回す。「1%vs99%」問題が意味するのは、単に所得格差が極端なまでに広がったという量的な問題ではなくて、資本主義の基盤となる倫理観や勤労観まで破壊し、ついには体制そのものを脅かす反乱まで引き起こしかねないという質的な問題なのである。

電子的金融資本主義は、資本主義を延命させる名案のように見えたけれども、実は、放っておけば欲望のままにどこまでも膨れあがって、やがて資本主義そのものを頓死させかねない化け物だった。だから、08年のリーマン・ショックでその危険が顕在化した時に、米国が本当に取り組まなければならなかったのは、金融的カジノを全面禁止して、それでもなお資本主義が生き残れる別の延命策を見つけるか、それが無理なら資本主義に代替する新しい経済モデルを作り上げるか、どちらかでしかなかった。ところが、その直後に権力の座に就いたオバマがやったことはと言えば、市場にあれこれの規制をかけて「ほどほどの金融資本主義」として制御しようという空しい試みと、過度に金融に頼ることへの反省からか、「ほどほどの産業資本主義」を復興させてモノやサービスの輸出で稼ごうという殊勝な努力であった。後者が、「14年までに輸出を倍増させ、200万人の雇用を創り出す」として発案されたTPPである

どちらもほどほどの中途半端でしかないことが、米国のみならず世界にとって悲劇で、そのため米国はもはや世界の憧れや尊敬を集めることができなくなった。そこをもう一度見つめ直して、オバマの8年間で成しえたことと成しえなかったことを冷静に総括し、「米国は21世紀をこう生きていくという覚悟を世界に示すことこそこの選挙の中心課題であったはずなのに、愚にもつかないドタバタの挙げ句、「自爆テロ犯のような人物を最高権力者に祭り上げてしまった

本当に問われているのは、真面目に額に汗して働いて、財やサービスを創造して価値を生み出す自分の仕事に誇りを持つことが出来て、それでいて何も華美なことを求めるのでもなく、手作りの料理を囲んでの家族との団欒、1杯の安酒とゆったりした風呂、園芸か山歩きかゴルフか何か1つのホビーの楽しみしか必要としていない、慎ましい労働者の存在こそが資本主義の命だというのに、そういう人々を馬鹿にする資本主義になってしまったということである。

クリントンは馬鹿にする側だから、それに対する答えを提示することが出来なかった。トランプは、彼らを馬鹿にしなかったのは偉かったけれども、間違った解決策しか提示しておらず、従って米国は自爆的な硬着陸に行き着かざるを得ない

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